【第257回】 規則正しく歩を進める

技を練磨しながら精進していく合気道は、相対稽古で技を掛け合って技を磨いていくが、なかなか思うようには技は決まらないものである。

技が決まらないとか効かないというのには、明白な理由がある。それは、決まるように、効くように、やらないからである。相手が多少強いとか、相手が意地悪で頑張っているからではないはずである。つまり、相手が受けを取りやすいよう、倒れざる得なくなるように、技を掛けないからと言える。

合気道の技は、宇宙の営み、宇宙法則を形にしたものであるといわれるわけだから、自然な法則があるはずである。従って、法則がなかったり、法則に従わず反してしまえば、合気道の技にならず、技は決まらないことになろう。

しかし、宇宙の法則がどんなものであるのか分からなければ、技にも遣えないことになる。この法則は人がつくったものではないから、人から教わることは出来ない。宇宙から学ばなければならないだろう。宇宙から何とか自分なりに法則を見つけて、その法則を技に取り入れていくのである。

それが宇宙の法則かどうかは、技で試してみればよい。だめなものもあるだろうが、宇宙の法則を発見できれば成功だ。やはり自分自身で感じて判断していくしかないだろう。

初心者の掛ける技の受けを取っていて、これでは技にならないと思うのが、足運びである。つまり、規則正しく歩が進められていないのである。中でも最もまずいのが、足が居着いてしまう、つまり止まってしまうことである。相撲では足が揃うといって、忌み嫌われる体勢である。

次にまずいのは、右、左と交互に歩が進まないで、右、左、左などと足を不規則に遣ってしまうことである。入り身投げや一教裏がうまくいかない最大の原因といってよいだろう。

三つ目は、足が右、左と交互に動いても、拍子が不規則なことである。速かったり遅かったり止まったりと、拍子がバラバラになることである。

宇宙の法則とは何かはまだよく分からないが、今のところ、まず法則があるということ、そして法則は自然で不自然でない、つまり、無駄なく、害なく、建設的・創造的で、美しく、気持がよいものであろうと考える。

だから、技を遣うのに歩を進める足運びも、左右交互とか規則的という法則があり、そして、自然で無駄なく美しく、受けの相手にも心地よいという宇宙の意志、生成化育がなければならないことになるだろう。

技を掛けるに当たっての宇宙法則に合うと思われる歩法は、歩くようにと言うことかもしれない。もちろん通常の軽い歩みでは技にならないから、緩急、強弱と、通常の歩みを変えなければならないが、右左交互に規則的に進めるのは同じはずである。

武道での足運びは歩くようにと言われるが、そうすれば足が自由に動くだけでなく、体も手足も自由に遣えて、受けも身構えること無く、双方に違和感がなくなるようだ。これが、自然で、宇宙の法則に則っているということだろう。

上手な人は、通常の歩みと変わらないような歩の進めをしていて、しかもそれが技になっているのである。歩けば即技にならなければならない、ということだろう。

宇宙の法則とは何か、そして、その法則を技にどう取り入れていけばいいのかは、まだまだ分からない。開祖や宇宙科学者が宇宙の法則を見つけて、我々に残されているが、それを技に取り入れるのはなかなか難しいものである。開祖が残された『武産合気』や『合気神髄』、解明されている宇宙科学を研究して、宇宙法則を見つけ、自分の技に取り入れていかなければならないだろう。