【第249回】 合気の道への扉を開く

合気道とは技の練磨を通して、宇宙を知り、宇宙と一体化するための修行の道という。技とは、開祖が言われる「技を生み出す仕組みの要素」である技要素の集まりであるから、その中の技要素を遣って技を掛けなければ、技とは言えないし、実際に効くものではない。技要素は一つではなく無数にあるはずだから、修行には終わりがないことになる。

だいたい合気道を始めて2〜3年で、基本技はできたと思うようになる。技の名前と技の型が一致して、その技の型をなぞることができるようになり、受身も取れるようになる頃である。私自身もそう思ったのだから、みんなもそうだろう。しかしこの段階は、厳格に言って、まだ真の合気道とは言えず、その準備段階にあると思うべきだろう。

ここから本格的な合気道の修行が始まらなければならない訳だが、これが容易ではない。なぜならば、合気の道はあるのだが、その前に扉があって道に入るのを阻止しているからである。扉の先に合気の道があるのは分かるが、その道に入り込めないのである。そして、その目に見えない扉をこじ開けようと、パワーの稽古をしたり、筋トレをしたりするようになるのだが、それでは開けられない。

この扉には鍵がある。それは、技要素という鍵である。この扉は、この技要素の鍵を使って開けなければならない。一つの技要素でもいい。それを扉の鍵と信じ、それを技で遣うのである。例えば、手足の末端と体の中心の腰腹とむすび、中心で末端を操作するとか、共通の円で動いて自分の円に収める等などである。

最近あった例だが、稽古が終わった後の自由時間に、稽古仲間といつものように正面打ち一教をやっていた。その時、相手がいつも腕を折って技を掛けていたので、腕を折らないようにして、腰腹の力を手先に伝えればよいと注意したところ、今まで上手くいかなかったものが上手くいき、今までの技の感覚と全然違うということがわかったのである。

恐らく今迄になかった全く新しいこの感覚が、彼の扉を開く鍵になるはずである。この鍵で合気の道に入れるのではないかと、楽しみにしている。

今までどんなに力いっぱいやっても、相手に技が効かなかったのが、その技要素を遣ったことによって技が効けば、感動するはずである。そして、その感動が扉を開くことにもなるだろう。

扉を開けば、そこには合気の道がある。この道を進めばよい。