【第248回】 感受性を磨く

技の練磨をして精進していく合気道には、スポーツのように勝負がないので、自分が上達しているのかどうかや、どれぐらい上達したのか等、なかなか分からないものである。それ故、自分を過大評価したり、過小評価してしまいがちになる。精進するためには、自分の実力、つまり上手いところと、下手なところを正しく把握していなければならないので、過大評価も、過小評価も精進のためにはよくないことになる。

自分の実力は自分で把握し、そしてそのレベルアップをするのが稽古である。しかし、このレベルアップはある段階からは難しいようである。それまでは(つまり、ある段階までは)、稽古を続けていればレベルアップでき、稽古に満足できていたのが、稽古を続けてもレベルアップがだんだん出来なくなってきてしまうのである。

レベルアップできない理由は簡単で、レベルアップするような稽古をしないからである。レベルアップしたければ、レベルアップするための稽古をしなければならない。ただ稽古をしていけばいいということではなく、レベルアップするように意識し、レベルアップするためにはどうすればいいのかを常に考えて、稽古に反映させていかなければならないだろう。そのためには、自分の実力を正しく把握し、レベルアップのためのデータベースを持っていなければならない。

レベルアップするための稽古、そして稽古に反映させることは、無数にあるだろうが、そのひとつに感受性ということがある。感受性が鈍ければ、宇宙の法則を感ずることが出来ないので、宇宙の法則に則ったこの繊細な合気道の技を遣うのは難しいはずである。感受性を敏感にし、その敏感な感受性を稽古に働かせなければならない。

感受性は、"外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き"ということであるが、いわゆる五官の目、鼻、耳、舌、皮膚での感じである。この中で合気道にとってあまり重要でないものは「舌」や「鼻」であると思うが、最も重要なものは「皮膚」であろう。なぜならば、合気道の技は相手と接して、相手と一体化しなければならないからである。相手と触れずに技をかけて倒す名人でも、皮膚の感覚を大事にしているはずである。また、目、鼻、耳が不自由な人でも、皮膚の感覚で稽古はできるはずだからである。

皮膚の感受性は重要である。相手に持たせた手を通して、相手と結び、相手とひとつとなり、相手を感じ、相手に技を遣う。皮膚の感受性が鈍いとこれができず、技がきまらないことになる。

また、合気道は引力の養成ともいわれているが、引力を感じる最初は皮膚であろう。だから、皮膚の感受性を鋭くするように稽古をしていかなければならない。

この他に、大事な感受性に直感とか第六感がある。合気道は宇宙と一体化するのが修行の究極的目標といわれるから、宇宙を感じなければならないことになる。宇宙を感じるなどどうすればよいかわからないだろうから、まずはもっと身近な自然や鳥獣、山川草木を師として、この感を学んでいけばよいのではないだろうか。

開祖も、「武道を修行する者は、宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが大切で、世界の動きをみてそれから何かを悟り、また書物をみて自分に技として受け入れる。ことごとくみな無駄に見過ごさないようにしなければいけない。すなわち山川草木ひとつとして師とならないものはないのである」(合気真髄)と言われている。

目や耳の五官だけで感じるのではなく、直感や第六感、つまり、インスピレーションなどを得る必要があるだろうから、この直感や第六感も鋭敏にしていかなければならないだろう。