【第244回】 自分の世界に入る

合気道の稽古を見ていると稽古に十分没頭できないでやっている人を多々見かける。俗世を引きずったままやっているのである。会社や家庭のことが心に残っていたり、世俗の習慣を断ち切れなかったり、俗世のやり方や考え方を捨てきらずにそれでやっているのである。

稽古でどれだけ精進できるかの条件のひとつは、いかに自分を精神統一し、俗世と異なる別次元、つまり自分の世界に入っていけるかどうかであろう。それは確かに容易ではない。だから人は座禅を組んだりするのである。
合気道は武道であるので、精神統一し、別次元に入るまで一寸まってくれというわけにはいかず、即、自分の世界に入っていけなければならない。

プロというのはあらためて凄いと思う。例えば歌謡曲を歌う歌手さん達である。テレビで見ていても、聴衆に向かってお辞儀をした瞬間から顔つきや雰囲気がかわり、自分の世界に入りきってしまい、聴衆をその世界に引き込んでしまう。
落語家さん達も素晴らしい。高座にあがってお辞儀をして顔を上げ、枕を話しはじめると、もう別の世界ができあがっており、聴衆はその世界にトランスポートされているのである。自分たちだけでなくまわりの人たちも自分の世界に取り込んでしまうのである。

プロは凄い。それではプロとアマ、玄人と素人、上手と下手の違いは、一言でいうと何処にあるのだろうか。それは俗世と異なる別次元、自分の世界に入れるかどうか、そして相手(聴衆、稽古相手など)もその世界に引き入れることができるかどうかにかかっているのではないだろうか。プロや玄人や上手はそれがいつでもできるが、アマや素人や下手はそれができないか難しいということである。格好よく見せようとか、恥ずかしいとか、間違ったらとか思えば現実の世界にいるわけで、自分の世界には入りにくいだろうし、別世界に入りたいと思っている相手の足をも引っ張ることにもなる。

合気道の稽古人さん達も、稽古をはじめるお辞儀をした瞬間には、合気道の世界の別次元に入り、稽古相手共々別次元に入っていくようになりたいものである。