【第223回】 一教に戻る

合気道に入門して、最初に覚えるのは一教だろう。合気道の技の中で、最も覚えやすく、やり易い技である。

一教は、子供にもやりやすいし、安全である。それに引き換え、子供や初心者がやっても様にならなかったり、難しい基本技は、入り身投げ、四方投げであろう。子供たちの入り身投げとか四方投げを見ていると、怪我でもしないかとはらはらするが、一教は安心して見ていられる。

一教は、基本技の一教から五教の第一番目の技である。しかし、この「一」というのには、なにか重要な意味があるように思う。
まず、一教の「一」には、前述の、最初にやる技と言う意味があるだろう。

次に、一教は「腕抑え」ともいわれるように、相手を制する上で、最も基本の箇所である腕を抑えるということである。二教や三教のように手首を抑えるのではなく、腕を抑えて相手を制するのである。今でもそうだろうが、武士の時代も、恐らく無意識のうちにまず腕を抑えただろう。
また、一教の稽古をすることによって、他の技よりも、腕がしっかりし、腹と腕が結び、指が締まる意味で一番(ベストで基本)といえるだろう。

三つ目は、一教がうまくできないと、二教も三教も小手返しなどもできないということである。正確に言えば、技は一教ができる程度にしか出来ないものである。だから、一教は技の基本中の基本ということになるはずである。

かつて、M先生の時間に、胸取り二教を稽古していたが、突然、大先生(開祖)が道場にお入りになり、M先生に、何の技を稽古しているかと訊ねられた。我々稽古人は、M先生は当然「はい、二教です」と答えられると思っていたところ、M先生は「はい、一教でございます」と答えられたのだ。それを聞いて、大先生はにこにこしながら道場を出て行かれた。

だが、我々には不思議で、稽古が終わった後でそのことを先輩に聞くと、あれでいいのだと言われた。その先輩は、同じようなことが以前あって、「二教でございます」と答えたら、大先生が「馬鹿もん、わしは二教などまだ教えておらん」と怒られたというのである。

要するに、まずは一教を十分稽古しなさいということであり、それが出来てから二教や三教の稽古に移りなさいということだったのだろう。

四つ目は、一教が一番難しいということである。他の技はなんとか形になっても、一教は難しい。特に、正面打ち一教は難しい。理に適った、無駄なく、美しく、そして力強い正面打ち一教を上手く遣えるひとは、そう多くはない。

五つ目は、一教こそが、一番の極意技であろうということである。一教ができれば、技をマスターしたことになるのではないだろうか。他の武道でもそうだが、入門して習う最初の技こそ極意技ということになるだろう。

一教は、重要な技であるはずなので、十分に身につけなければならないことになる。技の鍛錬をしていて、うまく効かない技がある場合は、おそらく一教がまだ十分できてないはずである。うまくいかない技を稽古するのもよいが、一教に戻って稽古してみるといい。

一教の基本に戻って稽古をする他に、それと異なる一教の稽古法がある。他の技を一教でやるのである。二教でも、関節を攻めで崩すのではなく、腕を雑巾を絞るように絞り込んで崩し、三教でも手首を攻めるのではなく、腕を攻めて崩すのである。また、小手返しでも、相手の手首ではなく、腕(小手)を掴んで返して崩すのである。四方投げでも同じで、腕を攻めて崩すのである。

一教で技が上手く掛けられるようになれば、通常の二教、三教、小手返し、四方投げは、容易にできるようになるはずだ。