【第218回】 形が大切

合気道には形がないとか、魂の学びであるとかいわれるが、そのせいか形を大切にしない稽古人が多いようにも思われる。だが、稽古事で形を大切にしないものなどひとつもないはずである。形がよくないものは、美しくないだけでなく、力もないし、説得力もない。形のよくない技を遣っても、相手が納得してくれるはずがないだろう。

開祖は、合気道には形がないといわれているが、次元が違うところでいわれているのであって、我々はそこに行くまで、形を大切にする稽古をしていかなければならないと思う。なぜならば、合気道は技の練磨を通して精進するものだが、その技がいいのか悪いのか、どこが不味いのかなどは、形を通してしか分からないからである。

開祖も、合気道や技を説明されるのに、△、○、□、十字などなどの形で説明されている。本当に形が大切でないのなら、△、○、□、十字などの形も遣われないはずである。

形には、自分の体勢と、動きの軌跡の形があるだろう。まず、心をまるく体三面に開いた形から、三角法で進み、入り身と転換で技を掛けるわけだが、一教なら一教の形を、二教なら二教と、基本の形で遣わなければならない。はじめから書道で言う草書のように崩すのではなく、楷書でしっかりとやることである。

二教や三教も、はじめの内はしっかりと一教で抑えてから掛けるようにしなければならない。最初の内は、隙が出来ないように心掛けることが、楷書の技遣いの形となるといえるかもしれない。特に、三教はまず一教でしっかり押さえた形からでないと、抑えた相手の腕を返されてしまう。つまり、形が崩れているから、隙が出来てしまうのである。

技を掛けて、相手にぶつかって抑えられたり、逃げられたりすることはよくあるが、それは技を掛ける自分に原因がある。そしてその不味い原因の多くは、形にある。十字になっていないとか、手が体の中心から外れて横にあるとか、手足、体がバラバラにあるとか等などである。

従って、技が失敗したり、上手くいかない場合は、まず形を直してみればよい。形は自分の目で見えるわけだから、その形を修正したり削除することは容易であるはずである。というより、形を修正していく方法以外に、技を上達させる方法はないのではないだろうか。初心者の内は、技の手順を覚え技の形をなぞることで、指導者に教えてもらって形を身につけていけるが、上級者になると、自分で技を洗練していくほかない。そのためには、形を通して技を磨くしかないだろう。形を大切にしていきたいものである。