【第195回】 先ず知らないことを知る

人間には思い込みや錯覚が多いというより、思い込みや錯覚で生きているのかも知れない。

東京に長年住んでいても、東京のことはよく知らない。日本人として長年日本に住んでいるが、日本のこともよく知らない。長年住んでいると、つい身内のように知っていると思ってしまうが、よく考えてみるとほとんど何も知らないといってよいほど知らないとも言える。

自分自身のことでも、長年、仲良く付き合ってきているし、自分のものだと思っているので、すべて知っているように思っているが、実際はほとんど何も知っていないと言える。

合気道の稽古でもすべて分かったつもりでやっているが、合気道のことはほとんど分かっていないといえるだろう。

例えば、合気道とは何かであるかも十分知らないだろうし、技の練磨で上達しようとしている技も、本当は知らないといえるのではないだろうか。精々、技の形をなぞってそれを技と思うぐらいであろう。

知らないのに知ったつもりで稽古を続けるから、上達が頭打ちになるのだと思う。知らないことを知らないとはっきりさせて、それを知るようにするのが稽古の出発点であろう。物事を始めるに当たっては起点が必要であり、習い事は起点から始めなければならない。途中からやれば自己流になり、成果は上がらないし長続きしないものだ。

合気道の真の起点は開祖であるから、開祖の残された言葉にもどって、そこから再出発しなければならないだろう。そこの起点に立って、自分の合気道を見れば、如何に多くのことをまだまだ学ばなければならないのかを知るであろう。

また、開祖の言われたことが、少しずつ分かってくると、自分が分かっていないことが更に分かってくるはずである。物事が分かってくると、自分の知らないことが分かってくるものだ。問題もなくすべて分かったつもりでいるのは、まだ何も分かっていないということになる。

だから、自分はまだ何も分かってなかったと思ったときから、本格的な稽古をはじめることができるようになるのではないだろうか。先ず、自分の知らない、分からない、出来ないことを知らなければならない。