【第194回】 実験

合気道は技の練磨を通して上達していくものである。上達ということは、ある目標に少しでも近づくことである。従って、上達するためには目標がなければならないことになる。

上達するための目標は一つではないだろう。人により、その人の今ある段階(レベル)においても、違ってくるはずである。いずれにしても目標を持たない稽古は、上達のしようがないわけであるから、あまり意味がないことになろう。

人は意識しなくとも、無意識の内に上達したい、しなければと願っていると思う。白帯で無垢の内は、上手くなろうとして何をやるべきかが分かるし、やりたいと思うことを素直に、また、がむしゃらにやるものだ。そして、問題がどこにあるかがわかるし、その問題に素直に立ち向かえる。大雑把に言わせてもらえば、白帯や初心者の稽古目標は、まわりの稽古人と同じようになりたいと思うことであると言えよう。他人との比較となるので、上達の有無は分かり易い。

しかし、ある程度「技の形」が出来るようになった後の上達が難しい。目標が今迄のようにまわりと対比しても見つけ難いからである。例えば、上手い人の真似をしようにも、身体ができていなければ、真似など出来ないからである。だから、先生も教えることはできないことになる。

今までの相対的な稽古からでは、自分の稽古目標を見つけられなくなってくる。つまり、自分との戦いとなる絶対的な稽古をしていかなければ、目標があらわれて来ないのである。

自分が主体となる絶対的な稽古にのみ本質的な上達があると考えるのだが、そのためには、目標設定とその目標攻略のための努力が必要になる。

初めの内の目標は、宇宙と一体化するなどというものに比べれば、小さなものである。初めの目標とは、稽古で出くわす問題ということになるだろう。その問題を解決することが、目標達成ということになる。例えば、四方投げや二教などで頑張られてしまう。持たせた手が離れてしまう。手先に十分な力が集まらない。相手をはじいて逃がしてしまう。など等である。これらは問題であると同時に、稽古の目標でもある。従って、これらの問題や上達に立ちふさがってくる問題を解決していくことが、上達ということになるわけである。

上達の行く手を、いろいろなものが邪魔するはずである。上達するための第一歩は、まずその問題を自覚することである。それを無視したり、その問題を避けて通れば上達はないはずである。問題を見つけようと思えば、見つけるのはそう難しいことではないと言えよう。自分の出来なかったことを冷静に思い返して、分析すればいい。しかし、問題に気がつかなければそれまでである。はじめは容易に解決できるだろうが、だんだんと難しくなってくるものだ。問題解決の方法は誰も教えてくれないだろうし、最終的には自分で解決していくほかないのである。

稽古とは、問題解決のためにやるということになる。何故ならば、問題がないということはまずあり得ないし、またそれを解決していかなければ上達はないからである。

合気道の稽古は相対稽古で、指導者が示す技(の形)を練磨するが、一つの技の問題は基本的にすべての技に共通しているはずなので、どの技であっても、その問題解決の稽古はできるはずである。もちろん、その問題解決のためにやりやすい技、やりにくい技はある。やりやすい技でその問題を解決したければ、自主稽古で研究すればいい。

稽古が問題解決のためであれば、問題解決のために自分が思いついた仮説を実験する場ということにもなるだろう。科学者は実験するが、科学者が実験する目的は、仮説を証明するためである。開祖は、「合気道は科学である」「科学する」等といわれていたが、このことを言われていたのかも知れない。問題を見つけ、その解決策の仮説を立て、その仮説を証明する稽古をしていけば、上達に繋がるものと信じる。