【第192回】 二律背反

世の中のものはすべて表裏、上下、前後、左右、陰陽、強弱などなど、二つの背反するもので構成されており、決して一面である片方だけのものはない。背反するものが一緒になっているから、バランスが取れ、美しく、力強く、自然なのである。司馬遼太郎の『街道をゆく』の装画を描いた須田克太画伯は、「絵画(造形)は、二律背反でなければいけません。」と言われている。

しかし、ものの完全なバランスは、表裏や上下や前後という二つだけのバランスではない。表裏、上下、前後、左右等などが同時に、すべてバランスが取れていなければならないのである。このバランスを取っている力を、合気道では「八大力」というらしい。「八大力」とは、多くの二律背反する力ということだろう。これは、最終的には球になるだろう。

「八大力」がバランスが取れた最高の状態を「天の浮橋」ということになろう。開祖は「天之浮橋に立たなければ、合気はできない」と言われていたが、すべての二律背反する力が、片方が強すぎたり弱すぎないようにバランスを取らなければならないということだろう。

相手に手を取らせた時でも、強ければいいとばかりに引っ張るだけでは、相手の手は切れてしまう。これを、初心者は強いと勘違いしてしまう。これは強いというのではなく、ただがむしゃらなだけである。相手が我慢して持っていてくれるだけである。引っ張るのと同じ強さの背反する力が働かなければならないのである。

二律背反の力のバランスが取れれば、大きな引力が出来て、相手がくっついてしまい、相手が手を放そうとしても離れにくくなるものだ。このためには、合気の体が出来ていなければならないし、体の遣い方を注意しなければいけない。さらに、技の技を知らなければならないのである。

例えば、肩が抜けていなければならないし、腰からの力を遣わなければならないし、手先は十字々々に反転して遣わなければならないし、相手との接点を大事にし、手や体を反転々々しながら遣わなければならない。

接点では、相手に出す力と同時に、引き戻す力を遣わなければならない。また、息遣いも重要である。「生産び」(第191回)の息遣いである。

世の中のものは二律背反で成っているが、そのことを理解するためには、合気道が最も分かり易いものでないかと考える。合気道の技の練磨を通して、二律背反、八大力からなる宇宙を知っていくことができるのではないだろうか。