【第181回】 今を大切に、しかし

人間、今、この瞬間しか、生きることはできない。過去にも、未来にも、同時に生きることはできない。だから一所懸命やれるのは、「ここ」と、「今の瞬間」だけである。

稽古も、今の一瞬々々に気持ちをいれてやらなければ、過去としての遺産が残らないし、未来への道にも繋がらないことになる。

相対稽古で技を磨いていくときには、上手くいく場合もあるし、全然相手に技が効かない場合もある。技が効かないのには出来ない理由があり、その理由が分からずに何度やり直しても駄目なものである。しかし、それはずっと後になって分かってくるもので、初心者のうちは分からないものだ。出来ないのは、稽古年数が少ないとか、力不足だなどとつい考えてしまうからだ。

どんなに一所懸命に技を掛けても、鍛えあげた古い先輩等には技はうまく掛からないことが多い。自分の技は相手に効かないが、自分は簡単に決められたり抑えられてしまう。でも、どうしてそうなるかは分からない。

しかし、合気道では、今がすべてではないし、今が勝負ではない。

スポーツは今しかない。今、負けたら終わりである。

武道の合気道は、今出来なくても、‘負けても’もよい。いつか出来ればいいのである。つまり、修行の最後にどうなるか、出来るかどうか、どこまで出来るようになるか、が勝負である。

合気道は勝ち負けの勝負ではないが、稽古は真剣勝負のつもりでやらなければならないだろう。それが、武道だろう。ただし、スポーツなどの勝負と違うのは、勝負の相手は自分自身であるということである。

従って、相対稽古の相手は勝負相手ではなく、勝負相手である自分のサポーターでありアドバイサーということになろう。自分がやった通りに動いてくれたり、引っかかってくれたり、頑張ってくれたりして、いろいろ教えてくれるのである。

今、出来なくともよい。出来ないのだから、仕方がない。出来ないのは、根性の問題ではない。十分な理由があるから、出来ないのだ。

稽古相手からのアドバイスや情報を真摯に受け止めて、稽古をしていけば、いつかその問題が見つかり、問題が解決され、そして出来るようになるだろう。今、できなくともよい。合気の道に乗っていれば、その内に出来るようになるはずである。いつ出来るようになるかは、努力と能力と運を掛け合わせたものによる。