【第177回】 深く潜航せよ

合気道は、技を練磨して精進する道である。日頃、稽古をするのは基本技であるが、基本技はそれほど多くはない。合気道は、技の数を増やして上達していくものではない。

しかし、合気道には少しの技しかないわけではない。逆に合気道の技は、無限といってよいほど沢山あるはずだ。恐らく合気道ほど、多種多様な技をつくれるものは他にないだろう。何故なら、合気道は真の武道であり、開祖は「合気道は総合武道である」とも言われていたし、本来スポーツのような決りや制限はないので、すべての攻撃に対処できなければならないことになっている。取り(攻撃法)も掛け(人数)も、右でも左でも後からでも、剣でも杖や短刀に対しても対処できなければならないことになっている。また、どう打ってきても、突いてきてもいいし、どこを掴んできても対処できるようにしなければならないのである。つまり、考えうる限りの攻撃を想定した技があることになる。ただ、基本技を除けば、それらのほとんどの技に名前はないし、つけられないだろう。

合気道の主な原理は「陰陽」であるが、この無限ともいえる技があるはずなのに、日頃の練磨は、数もそれほど多くない基本技を繰り返し稽古していることにある。同じ基本技を、初心者と上級者が一緒に同じように修練するのである。この「多くあるが、少ない数を稽古する」というコントラストが、合気道の原理である「陰陽」として面白いし、将来もこの数少ない基本技の練磨を主体にする稽古が続いて欲しいと願っている。何故ならば、基本技がきちんと出来ていないと、技の数を増やそうとか、派手な技をやろうとか、自分で創作するとか、別の道を進むようになり、合気道とは別なものになる危険性があるからである。

合気道の技の鍛錬のモットーは、「広くより深く」である。基本技を繰り返し繰り返し練磨し、技を深めていくことである。「一教」「二教」「四方投げ」「入り身投げ」を稽古し続けることである。何度も稽古をしていくことによって、合気道の基本ファクター(要因)を見つけ、身につけていくのである。

また、基本技が出来るためには必要不可欠なものがあり、その稽古の重要性も分かってくるはずである。例えば、「呼吸法」であるが、基本技はこの「呼吸法」の出来る程度にしか出来ないことも分かるはずである。従って、基本技が出来るようになるためにも、「呼吸法」を何度も繰り返して稽古し、深く深く潜航していかなければならないことになる。

技の上手さというのは、技の深さということになるだろう。どこまで深く潜航したかということになる。幸か不幸か、潜航している深さを数値では表せないが、見る者から見ればどの辺にいるのか分かるものだ。

深く潜航していくためには、相対稽古の相手を意識しすぎたり、周りや他人をあまり意識しては、上手くいかない。意識しなければならないのは、自分自身である。自分に打ち勝っていくことである。道場での相対稽古でも、自分との戦いでなければならない。

しかし、相対稽古になると、気持ちは相手の方に行きがちなので、慣れるまでは自主稽古で自分と闘うという習慣をつけるのがよいだろう。例えば、剣や杖の素振り、四股などで自分に負けないようにし、毎回何かを発見しながら少しでも潜航するよう訓練するのである。深く潜航していくためには毎日やり続けることであり、毎日、新しい発見をしていくことである。

新しい発見がなければそれは負けである。自分に負けないように頑張らなければならないのである。この習慣が身につけば、道場での稽古も潜航型の稽古になっていくだろう。少しづつでも潜航していけば、来年、5年後、10年後の潜航深度が楽しみになるだろう。