【第167回】 体当たり

合気道で入門者が最初に習う初手は「一教」(第一教腕抑え)であるが、この「一教」は最も奥深い極意技でもあるといえよう。特に、「正面打ちの一教」はその極みであろう。

「一教」には合気道の技を遣うにあたっての重要な要素があるので、基本中の基本技である。従って、「一教」が出来なければ他の技もその程度にしか出来ないことになろう。技に行き詰ったら、「一教」に戻ることである。

「一教」、特に「正面打ち一教」は攻撃してくる相手が手刀で打ってくるのを、わが腕を手刀として遣って迎えるので、腕と腕がぶつかって相当痛いものである。それ故、打つ方も、またそれを受ける方も、力を抜いたり、横に逃げたりしがちである。開祖がおられた頃は、「正面打ち一教」で、まず相手の手刀とぶつかる尺骨部(小手の下側)が赤く腫れたものであった。痛くて横に逃げたり力を抜くと、相手の先輩はますます強烈に打ってきて、痛みがひどくなるので、逃げることも力を抜くこともできなかった。開祖もそのように思い切り打ったり受けたりしているのを、黙ってご覧になっていた。力を抜いたり、気を抜いた打ち方や受け方の稽古をするのを見ると、雷を落とされたものだった。

「正面打ち一教」で思いっきり打ったり受けるのには、重要なことがあることを、開祖は我々に教えておられたのだと、今になると分かる。それは恐らく、打つも受けるも体当たりをしろということではなかったろうか。手刀で自分の中心から相手の中心に、体当たりしなければならないということだ。

他の武道でも、逃げずに相手の中心に向かって進むことは重要であると、教えている。剣術の小野派一刀流でも、初手であり最極意である技は「切落」といわれ、相手が真っ向から切ってきても突いてきても、真っ向に切り突き進むものであるという。つまり横に払ったり、避けては駄目なのである。相手の真ん中に体当たりして行くのである。

合気道の技はどんな技でも、まず体当たりしないと効かないものだ。呼吸法でも、体当たりがないと効かない。例えば、「坐技呼吸法」は、腰からの体当たりがないと相手と一緒になれない。

合気道の稽古は、まず気の体当たり、そして体の体当たりが重要である。

参考文献  月刊誌『秘伝』(2009年3月号「小野派一刀流」)