【第161回】 上達の方程式

武道の修練をしている人は誰でも、上手くなるべく努力していると思う。少しでも上手になってよい技を遣えるようになりたいとか、宇宙の真理に触れたいとか、考えているはずである。

しかしながら、自分では一生懸命に稽古しているつもりなのに中々上達しないとか、同僚や後輩や先輩たちはどんどん上達しているように思えるとか、悩むこともある。同じように稽古をしている筈なのに、差がついてしまうのである。これには、何か理由があるはずである。

上達するためには、一生懸命稽古をすることが必要であるが、それだけではないだろう。何人かが同じように一生懸命稽古をしたとしても、同じように上達はしない。能力がある人は、同じ努力をしてもより大きくレベルアップをするだろう。また長年続ければ、短期間しか稽古をしていない人に比べ上手いだろうし、昔の自分より今の自分の方が上達しているはずだから、時間も大事な要因である。

この3つの要因(努力、能力、時間)の他にもう一つの要因がある。例えば、開祖は超人的な能力を持ちながら、超人的な努力で人生のほとんどの時間を修行にかけられたが、もう一つ「運」というファクターが加わったことによって、他の誰もが到達できないようなレベルに達せられたのだと考える。開祖の「運」の例としては、大東流合気柔術の武田惣角に出会ったこと、大本教の出口王仁三郎に出会ったこと等である。もしこの二人に出会うことがなければ、開祖は今の合気道とは違ったものをつくられていたのではないかとさえ思う。

この「運」も能力の一部、そして努力の一部かもしれない。能力がなく努力をしなければ、「運」を呼ぶことはできないはずだからである。この「運」に関して二代目植芝吉祥丸は『合気道技法』の中で、「およそ一事を成就達成するのに最も大切なことは、その人の天稟と努力と、更に時を得ることである。」と言われており、「運」を「時を得ること」としている。

上達するための上達要因を入れて簡単な上達方程式をつくってみると、次のようになるのではないだろうか:

 上達 = (能力 x 努力 x 時間) + 運

この内、能力は多少の改善は出来るかも知れないが、それも努力によるものだろうから、能力は生まれて持ってきたものとして、ほぼ固定的要因と考えていいだろう。しかし、努力と時間という要因は自分で変えることができる。少しでも大きな努力をし、少しでも長く稽古をすればいいのである。人間の能力には差があるが、それを努力と時間で十分カバーできるはずである。

また世の中はうまく出来ていて、能力のある者は得てして努力をあまりしないし、またその努力が長く続かないようにも見受ける。能力のないのを嘆かずに、精一杯の努力をし、少しでも長く稽古をすることである。そうすると「時を得て」運もつくだろう。

上の式によれば、最後の自分が最も上手いはずである。最高の自分を楽しみに頑張りたいものである。