【第160回】 厳しい技

合気道は武道である。時代が違っても、武道の厳しさを失ってはいけないと思う。技を掛けるとき、受けを取るとき、相手にも自分にもスキのないような技遣いをしなければならない。とりわけ技を掛ける場合には、相手が逃げたり、反撃できないような厳しいものでなければならない。

時代が変わったのだから、技は時代に合わせて厳しくしないでよいのではないかと考える人もいるかも知れない。が、それでは武道ではなくなってしまう。武道を志す者は誰でも、武道の厳しさに引かれて稽古をしているはずである。無意識のうちに、厳しさの中で自分を鍛え、宇宙の真理を見つけようとしているはずである。そのために忙しい時間を割いて、万難を排して道場に通うのではないか。厳しい技の修練をしなければ、満足できるはずがないだろう。

厳しい技とは、相手に厳しいのではなく、自分に厳しい技をいう。自分に厳しい結果、相手にも厳しくなるのである。だから、相手に不快を感じさせず、争う気持ちも起こさないことができるのである。これを逆にして、相手にだけ厳しくしようとすると、争いが起ることになる。

厳しい技とは、相手を痛める術(テクニック)ではない。手を無闇に振り回して、相手を痛めるものではない。どんなにゆっくりやっても、相手はくっついてきて逃げることも出来ない技(遣い)である。というより、逃げようと思わせない、さらには喜んでついて来たくなるような技ということになる。だから、厳しくもあるが、反面やさしい技ということになる。相手を殺してしまう厳しさはあるものの、実は相手を活かす技なのである。

厳しい技を遣うためには、いろいろな条件があるだろうが、その幾つかを思いつくままに書いてみる:

この他いろいろあるだろうが、あとは稽古でそれを見つけ、身につけてゆく他ないだろう。

スキのない厳しさとは、手足腰が心と呼吸と一体となった技であり、自分に厳しく、もう一人の自分に反撃されない、スキのない、ということであろう。他人に勝つのも容易ではないが、自分に勝つのはもっと大変である。自分に勝てれば、誰にも勝っていることになろう。自分に厳しい技を遣いたいものである。