【第159回】 上達のための破壊

合気道は、技を稽古して進んで行く道である。初めのうちは技の型を覚えたり、手足の動かし方や体の遣い方など新しいことを身につけるのが稽古であるが、ある程度の年数を重ねてくると、新しいことを身につけるだけでなく、古いものを捨てていくのが重要な稽古になってくる。

合気道は、体のカス取りとも言われている。カスとは脂肪やシコリなどの物質だけではなく、長年の稽古で溜まってしまった癖や固定概念などのソフトの除去でもある。長年稽古をすれば、誰でも力がついてくるので、初心者などはなかなか思うように技がかからないようになる。そうなってくると、自分は上手くなったと思い、自分のやり方や技遣いは絶対正しいと思うようになる。そうなると上達は止まることになる。

開祖は、「今日習ったことは忘れなさい」と言われていた。今日と明日は違うのだから、今日に固守していては前に進めないということだろう。学ぶことは大事である。今日学んだことを会得するように最大努力しなければならない。その上で、次に学ぶときはそれに固守せず、それを忘れて学ばなければならないのである。

かつて本部道場では毎時間、指導される先生が違っていたので(現在も同じだが)、同じ技の稽古でも先生によってはずいぶんと違うやり方であったが、その時間はその先生のやり方に少しでも近づけるべく稽古をしたものだった。開祖をはじめ、吉祥丸先代道主、藤平先生、斉藤先生、多田先生、山口先生、有川先生など、真似しやすい時間と難しい時間があったが、今思えばそれぞれの先生の真似をしたことがいい稽古になったようである。

稽古をはじめてあまり年数も経っていない頃だったし、どの先生も輝いていたので、特定の師を決めることもなく、どの先生からも少しでも沢山学びたいと思っていた。各先生の真似をし、その先生の時間は他の先生のことをすべて忘れるようにして、少しでもその先生のやり方で稽古しようとした。もし他の先生の稽古を引きずって稽古をしたら、異なる先生に学ぶ意味はなくなることになるのである。

先輩や仲間には、一人の先生のやり方を良しとして、その先生についた人もいたが、自分の師を見つけたのだからその人は幸せであろう。

開祖があそこまで高次元の境地までいかれたのは、会得されたものをどんどん壊されて、目標に向かわれたからだろう。目標に近づくためには、邪魔になるものは壊し、いいものを取り入れていく必要がある。場合によっては、それまでやってきたことを壊すだけでなく、全く逆なことをやらなければならないこともある。つまり破壊がなければ前進、上達がないということである。

今の自分に満足せず、創造と破壊を繰り返しながら、ますます精進したいものである。