【第156回】 合気道の鍛錬

合気道だけでなく、他の武道でも鍛錬のために稽古に通う人は沢山いる。武道の基本は鍛錬ということであるからだろう。特に最近は、体をバランスよく遣うことがどんどん少なくなり、体の一部を酷使しているので、体のバランスをとるためや、体に溜まったエネルギーを燃焼するために、スポーツクラブや道場に通う人もいるが、自分の体を鍛錬したくて通う人も沢山いるようだ。

鍛錬とは練り鍛えるということだが、何を練り鍛えるのかということになる。先ずは、体であろう。相対稽古で技を掛け合いながら体の部位を固めたり、伸ばしたりして、強靭な体に練り鍛えるのである。

合気道では、まず合気の体をつくらなければならない。体が出来ていなければ、技も身につかないので、先に進めないのである。体の動く部分のカスをとって、その部分の筋や筋肉を伸ばしたり負荷を掛け、強靭にするのである。始めは多少痛いだろうが、それはどうしても通らなければならない関門であるから耐えねばならない。これをやらずに昇段してしまうと、相手は段に応じて体が出来ていると思い込んで技をかけてくるので、時として怪我をしてしまうことになる。後につなげるためには、逃げずに我慢して体の鍛錬をしなければならない。 

これに付随して、心も鍛錬しなければならない。多少の痛さを我慢したり、相手を大きく包み込むなど、意志を堅固にしたり、柔らかくしたりと、硬軟両方をもつ心に練り鍛えるのである。心の鍛錬でもっとも大事なのは、自分に負けないことである。自分の心に負けないことである。しかし、これは難しい。永遠の課題である。

三つ目は、技を鍛錬することである。基本技を繰り返し繰り返し何万回も何十万回もやって、技を練りに練っていくのである。基本技や呼吸法をどんどん深く、そして精密に稽古するのである。これが技の鍛錬である。

開祖は、合気道の「わざ」の鍛錬を通して、「宇宙の営みを、自分の心身の内で鍛錬しなければならない」と言われた。技はいくらやっても、これで完成ということがない。それを知りながら、完成を目指すのである。悲劇であるが、ロマンでもある。

四つ目は、「自己を練る」ことである。開祖は、「武道は自己を作る、自己を完成させるところのものである。」(「合気真髄」)と言われている。合気道の鍛錬は上記の三つの鍛錬を統合して、自己を練っていくことであろう。

参考文献  『合気真髄』