【第149回】 体に聴け

合気道は技の稽古を通して道を切り開いていくが、自分のやっている技遣いがこれでいいのかどうかを判断し、またどうすればもっと上手くできるかを知るのは、中々難しいものである。実力のあるいい先生がいて、それを指摘したり、教えてくれるならいいが、今のような一対多数の稽古法ではそれも難しい。昔のように、師匠と弟子が一対一で、手を取り合った稽古をするなら、師匠は教えることもできるし、弟子は師匠の言うとおりにやればいい。しかし、今ではそのような稽古法は難しいだろうから、最終的には自分自身で何とかしなければならないことになる。

合気道の稽古で技を掛けるとき、掛けたとき、上手くいったのか、不味かったのかは、体がよく知っているはずである。上手くやったときは、体に無理がなく、体が動くし、体が無理なく動けば、体はいい気持ちになることを、体は知っている。体はいい気持ちになることを望んでいると思える。

技を掛けるとき、それに、受けを取るときも、体が気持ちいいと感じるようにやればいいことになる。体の遣いかたを間違えば、筋肉を傷めたり、関節を痛める。これは体が発するダメ出しである。その声を無視すれば、本当に体を痛めてしまい、稽古も続けられなくなってしまうことになる。

体は自然の一部なのである。頭(脳)は偽ることができるが、体は正直であるようだ。体はやったように、正直に反応する。正しくやれば、よりよく働いてくれるし、また上達へのアドバイスもしてくれる。

体は見たり、感じたりするインプットのセンサーでもあるし、アウトプット機能を果たすものでもある。見るもの、感じるものは真実である。他人が頭で考えたこと、自分が頭で考えたことよりも、自分の体が感じることを信じた方が正しいといえよう。体は自分の師匠といえよう。

技に迷ったならば、頭を悩ますだけでなく、体をつかって試してみるのがよい。何度も何度も納得いくまでやってみることである。よいかどうかの判断、どうすればいいのかのアドバイスを、体はきっとしてくれるはずである。

体が納得すれば、その技は、その時点において、出来たということになる。もちろん、何年か後に自分のレベルが上がれば、その技のレベルアップも必要になるので、新たなレベルアップの挑戦を、また体が要求するはずである。体に耳をすませて、体の声を聴き、自分の師匠と思って、稽古に励むのがいいのではないだろうか。