【第146回】 答えは既にあり、唯それを見つけるだけ

2002年に小柴昌俊東大名誉教授がノーベル物理学賞を受賞した折の言葉として、この賞をもらったということはそれほどのことではない、唯、他人より早く見つけただけである、という内容のことを言われていた。西洋人なら決して言わないだろうことを言った小柴さんには感心したものだが、言われたことはまことに正しいと思う。小柴さんが見つけなくても、何時かは誰かが見つけているはずだからである。何故なら、それは既にあるからである。

中世以降のルネッサンス(人間性の復興)などを経て、人間万能、科学万能という思想の時代が続き、人間が科学的に考えること、やることは絶対であるというように考えられている。そして、人間は傲慢になり、争い、自然は破壊されるようになった。合気道ではこれを穢れ(けがれ)であるとして、禊(みそぎ)がなければならないと教えている。まずは合気道の技を稽古をしながら、心身を禊ぎ、また世の中を禊げというのである。

合気道の技は、大先生(植芝盛平翁)が苦心して創り上げたものであるが、正確に言えば、すべてを大先生が創られたものでは無いとも言える。何故ならば、合気道の技の元は、既にあったわけで、それを大先生が発見され、そしてそれを合気道の技としたのである。

もちろん、これは誰にでも出来ることではないだろうし、大先生だから出来たことであり、もし大先生がこれを発見し、形に残さなければ、永遠に失われたのではないかと思う。これはノーベル賞以上の功績であるはずだが、大先生はそんなことには無頓着に、ご自身も修行を続けられ、我々不肖の弟子たちに合気道という遺産を残して下さったわけで、感謝の気持ちで頭が下がるばかりである。

大先生は、合気道の技は宇宙万有の運行を形に現したものであるといわれているから、技の元になるものは既に存在していたということになる。従って、合気道の技は新たに創るものでも、発明するものでもない。既にあるものを見つけて、それを身につけるために鍛錬するのである。

つまり、合気道の鍛錬は「己の心を宇宙万有の活動と調和させる修練。己の肉体そのものを宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。心と肉体とを一つに結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。」ということで、つまりは宇宙万有の活動に調和させることであり、既に存在する、宇宙万有の活動、運行を見つけことである。例えば、手の遣い方にしても、「合気道は天地の真理を悟り、顕幽神一如、水火の妙体に心身をおいて、天地人合気の魂気、すなわち手は、宇宙心身一致の動きと化さなければなりません。」(合気真髄)とあり、手の遣い方も天地の真理、宇宙の中にあると言われている。

天地の真理や宇宙万有活動や宇宙生成化育の法則は、無限にあると言えるだろう。人間一人はいうに及ばず、人類が総出で取り組んでも、すべての法則を見つけることは出来ないだろう。しかし、宇宙は、生成化育して宇宙天国を創るために、人類にそれを見つけてくれることを待っているだろう。小さな脳で浅はかな「技」など作らず、既に宇宙にあるものを見つけた方がよい。