【第125回】 小さいことが大切

稽古というものは、稽古場でやるだけではなく、また技や形をやることだけが稽古でもない。いつでも、そして如何なることをやるにも、稽古と思ってやらなければならない。道場での稽古、先生に指導してもらう稽古は、稽古の芯になるが、それだけを稽古と思っているのは間違いであろう。

道場で技の稽古に入る前に、体操をする。大概の人は、一般的な体操、つまりただの体慣らしと思って体を動かし、早く技を掛け合う稽古をしたくてうずうずして、あまり身を入れていない人が多い。しかし、この体操も「わざ」を磨く上で、また合気の体つくりと息遣いを身につけることができる、重要な修練の場なのである。

このような体操を疎かにすると、体づくりのチャンスを逃すだけでなく、体にダメージを与え、「わざ」の上達を阻むことにもなる。例えば、膝の屈伸や開脚での屈伸の際、膝頭がつま先より前に出るようにやっていれば、いずれ膝を痛めることになるはずだ。足は床に垂直にし、足首は極力直角に保つようにすべきである。この足の角度は、「わざ」を掛ける時も同じであり、膝がつま先より先にでれば、自分の体重が膝から逃げてしまうだけでなく、膝に負担を掛けることによって、膝を痛めることになる。まずは体操で矯正するのがいい。

また、手首、首、股関節などを伸ばす運動の際、息を吐きながらやれば、柔らかくならずに固まっていってしまう。その習慣を体操でつけてしまうと、実際に「わざ」をやるときにも、息を吐いてしまうので、相手を弾き飛ばすことになり、技が上手く掛からないし、呼吸もすぐ上がってしまうことになる。

体操でも、普段の歩き、つまりは一挙手一動が、稽古にならなければならないということになる。換言すれば、日常の一挙手一投足で間違ったことをやっていけば、体を壊すことになるし、合気の上達を阻害することになる。大げさだが、「蟻の穴」が堤防を決壊させるようなものだ。

人の技のレベルは、技を見なくとも見当がつくものだ。体操を見ても分かるし、歩き方、お辞儀の仕方等、その人の一挙手一投足を見れば、おおよそは分かるようだ。人は無意識の内に、他人の技量を判断しているが、それはその人の小さな事からしているのである。大事だと思われるものだけでなく、その他の、もっと小さなことを人は見ているのである。だから、小さなことも、大切なのである。小さなことも疎かにしないで、大切に稽古をしていきたいものである。