【第118回】 技と業

合気道は、合気道の技の形(かた)を繰り返し稽古していく稽古方法をとる。特に一教〜四教、四方投げ、入身投げ、小手返し、回転投げなどを幾つかの攻撃法と連動して稽古をする。例えば、一教だけでも相半身片手取り一教、逆半身片手取り一教、両手取り一教、諸手取り一教、正面打ち一教、横面打ち一教、突き一教、後ろ両手取り一教、後ろ片手取り首絞め一教、後ろ両肩取り一教、胸取り一教、胸取り面打ち一教、またこれらの座り技、半座半立ち等などがある。さらに、これらの技には表と裏があり、左右もあるので技の形を覚えるのもはじめは大変であろうが、技の形をなぞるのはそれほど難しくないようであり、ほとんどの稽古人はできるようである。

しかし、その技が効くかどうかは別である。技が効くというのは、まず技を掛けた相手が多少抵抗しても倒したり、抑えることが出来ること。次の段階では、技を掛ける相手に触れた瞬間に相手と結んでしまい、相手と一つとなり、相手を自由にしてしまうこと。そして技をかけて、相手が抵抗しないだけでなく、「その相対するところの精神を、相手自ら喜んで無くする」(合気真髄)ようになることである。これはなかなか容易ではない。

技を効かせるのが難しい理由はいろいろあるが、大雑把に言えば、技と業を正確に出来ないことにあると考える。「技」とは英語で訳せばTECHNIQUEで技術と考えていいだろう。つまり、攻撃する相手を倒す形(かた)の技術である。形の技術であるから、自己流に変えてしまうのではなく、先人がつくり、伝えられた通りにやらなければならない。これを「稽古」といい、「古(いにしえ)をかえりみる」ということである。合気道の形は、開祖が宇宙の動きに合わせて創られたと言われるので、この形を崩すことは宇宙の動き、宇宙の法則に反することになって正しくないし、不自然なので体を壊すなど、害になると言われる。

「技」を上手く使うためには、その技を使うための土台が出来ていなければならない。合気道では技はほとんど手で掛けることになるので、どうしても技は手さばきで掛けがちとなる。手だけではどう頑張っても技は上手く掛けられないし、効くものではない。技を掛ける手の働きを助ける特別な動作や動きが必要になる。これを「業」(わざ)と呼ぶことにする。「業」の字源は、「つりがねに類した楽器をかける道具で歯形のような模様のある大きな板の形を表す。転じてこれをつくる仕事を業といい、広く「わざ」の意に用いる。」(「標準漢和辞典」)。そこから、一定の目的を持つ行い、なんらかの意図をもってなしたこと、また、その行為、行い、振る舞いを指す(「広辞苑」)。英語では、move, task, workなどという。

業というものは、例えば、手足は同じ側が同時に連動するように使う、手足は陰陽で使う、手を腹や腰と結んで遣う、肩を貫いて遣う、天之浮橋に立つ、十字で掛ける、等々、技には限りがあるのに反して、無限にあるように思える。

技を上手く掛けられるためには、業が出来なければならない。言葉をかえると、業ができる程度にしか技は出来ないということがいえよう。合気道には、呼吸法という稽古法がある。諸手取り呼吸法とか座技呼吸法である。これは技ではないが、大事な業を学び、練磨する大事な稽古法であるようだ。有川定輝師範はよく「呼吸法が出来る程度にしか技はできない」と言われていた。この意味するところは、呼吸法は技ではないということと、呼吸法に技を上手くする稽古法があるということだろう。つまり、呼吸法は「業」上達のための稽古法ということになろう。

参考文献:
 広辞苑
 標準漢和辞典