【第114回】 殺して生かす

合気道は、武道である。武道の本質は、攻撃してくる相手を倒すことにある。しかも、攻撃してくる相手の戦闘意欲を無くしてしまうことである。相手が戦闘意欲を持ち続けている限り、掛けた技は有効でないことになり、武道としては失格ということになろう。

技は、相手が崩れなければ、掛からないものだ。相手の気持ちと体が安定している間は、技は掛からない。柔道では、技を掛ける前に崩しがあり、相撲ではぶつかったり、押したり引いたり、張ったりして、相手を崩して、技を掛ける。

合気道では、相手の気持ちを崩すために「仮当て」がある。今は当身をだんだん使わなくなってきているが、かっては当身7分、技3分と言われたほど、当身は重要であった。

当身(仮当て)は重要であるし、大袈裟に言えば、当身がなければ、ほとんどの場合、相手(の気持ち)は崩れてくれないものである。例えば、相手がしっかり手首を握ったところから、その手を上げ、くぐって回転投げなどの技を掛ける場合、当身を入れなければ、相手の手は上がらないし、脇を空けてくぐらせてくれない。

しかし、もっと重要なのは、相手の体勢を崩すために合気道では、相手と触れた瞬間に相手と一つになってしまわなければならないことである。一つになる、つまり二人(何人でも)が一人になれば、一人の意思で自由に動くことができることになる。

相手と一つになると、相手は自由を奪われることになり、殺されたことになる。ここで、初めて技が自由に掛けられるようになる。生かすも殺すも自由になる。ここで、当身を使えばより効果が出る。

合気道は、愛の武道である。殺すことが出来ても、相手を生かさなければならない。相手の動きたいように、相手の仕事を邪魔しないように、動かしてやらなければならない。相手を倒したり、投げるのではなく、相手が自ら倒れるようにならなければならない。投げる側は、倒れるのをちょっと手伝ってやるだけということである。相手を殺すというのは、「真の合気道は、相手を倒すだけでなく、その相対するところの精神を、相手みずから喜んで無くするようになさなければならないのです。」(合気道新聞 No.75)と開祖も言われるように、相手みずからが真に納得するものでなければならない。腕力で捻り倒したのでは、相手は真からは納得しない。

生かしておいて殺そうとすると、争いになったり、怪我をさせることになる。殺して生かすようにしなければならない。

参考文献  「合気道新聞」(No.75)