【第96回】 足の親指

武道・武術では、手は小指、足は親指(拇指、母指)が大事といわれる。手の小指が大事なのは、小指が締まれば、脇が締まり、力が腹に集まり、また体の表(腰、広背筋、僧帽筋、上腕三頭筋など、体の後ろ側)から力が出るので、強い力が出るからである。手の小指でなく親指と人差指で物を持ったり、力をいれると、体の裏(前面、胸側)に力がこもってしまい、肩に力がこもり、大きな力が出ない。このような持ち方は「糞にぎり」といわれて嫌われるものだ。

宮本武蔵の「五輪之書」の中に、「足の運びようのこと、つま先を少しうけて(浮かせて)、きびす(踵)を強く踏むべし。足づかいは、ことによりて大小、遅速はありとも、常に歩むがごとし。」とあるように、足は歩をすすめるとき、踵が着くように進むのがいい。つま先から着地しないことである。つま先から着地すると体の力が体の裏(前面)、特に膝にたまってしまい、力(エネルギー)が十分に活用できない。

立ったときには、能の世界と同じように、足裏の三点に重心を置くようにするのがいい。その三点とは親指の付け根(拇指球)、小指の付け根(小指球)と踵である。しかし注意しないと、この三点のうちの小指の付け根と踵に重心にかかり過ぎ、重心が外側に逃げてしまう。これを避けるために、親指の付け根と踵に重心を置き、親指の付け根と踵の線上を進むようにすることである。それによって自分の中心が取れ、三角体で相手に入身で入り込めるし、体の力が体の中心に集まるので、腹も締まって力が出やすくなる。

立ったり動いているとき、親指の付け根に力が入っても、つま先に重心はかからない。柳生新陰流(厳周伝)では、常につま先を鎌首をもたげるように上げて立ち、動かなければならないという。踵は基本的には床から離れないようにするようだ。小指を浮かせ、親指の付け根に重心を掛けると、足の内側が締まるので、鋭く速い動きができるはずである。武士の嗜みであった「能」の足運びや舞いと同じである。

合気道では、「進むときは踵で、入身するときはつま先から進め」と言われるが、この場合のつま先とは「親指の付け根」のことだと考える。何故ならば、スピードがあり力が籠もった動きにおいて、言葉通りつま先から、安全にかつ確実で力強く着地するのは難しいからである。つま先、それも親指でまともに着地したら、必ず怪我をするだろう。開祖がつま先立ちや親指で床を蹴って演武をされたことは一度も見たことがない。

一般的に立ったり、歩を進める場合、親指が大事というのは、つま先という事ではなくて、それに繋がる親指の付け根をいうと考える。また合気道は体の表(後側)を使うのが基本なので、通常、つま先は使わないはずである。足の付け根から先のつま先を使うと、膝など、体の裏(前部)を使わなくてはならなくなるからである。

ただ、養神館合気道(特に故塩田剛三館長)ではつま先を重視しているように見える。相手が攻撃してぶつかってくる場合など、つま先立ちになって相手を飛ばしている。塩田剛三館長は、つま先で相手の足の甲を押さえ、動けないようにしてしまっていたのだから、つま先は相当鍛えて強靭だったのだろう。相手とぶつかって、相手を前に飛ばしたり、はじき倒すときは、つま先を支点に体の全体重をかければ相当な力がでるはずだ。しかし「親指の付け根」がしっかりしていなければ、親指の指先も使えないだろう。やはり「親指の付け根」がポイントと考える。

もちろん親指そのものも重要であることは間違いない。付け根まででその上の親指がなければ、体の安定性も保てないだろうし、スムースにも歩けない、また力も出ないだろう。また合気道の大先輩が、開祖の呼吸投げの受けを取ったとき、体全体がもっていかれて、一瞬もう駄目だと思ったとき、足の親指と他の指で畳をしっかり掴んで、畳に張り付いていたためぶざまな姿をしなくて済んだが、体ごと持っていかれた恐怖で冷や汗がドッと出たと言っていた。足の親指も他の指も重要であることに間違いはない。特に武道という観点から言えば、体の全ての部分を鍛えなければならない。そこを鍛えることにより、それが武器にもなるし、得意「わざ」ができるかもしれない。逆に、弱い部分があれば、そこが弱点となり敵に付け入る隙を与えることになってしまう。

中国武術の大極拳に「陳式」と「楊式」があるが、歩を進める際の足の置き方に大きな違いがある。「陳式」の方は、足の指全体で地を掴むようにし、「楊式」の方は上から足を置くといわれる。いずれも足の指を大事に使っている。

合気道で親指のつま先と付け根を鍛えるのにいい稽古は座技である。開祖は我々が座技をやっていれば、文句を言ったり、雷を落とすことはなかった。座技はいいのでやるように、暗に奨励していたのだろう。座技はつま先を立てて移動するのでつま先と付け根が鍛えられる。また形稽古で、相手を崩して、立ったところから、最後に相手を畳にうつぶせにして、坐りながら押さえていくが、最後に踵からつま先に重心が移動するので、つま先と付け根が鍛えられる。従って相対稽古で、最後まできちっとやらないとつま先と付け根を鍛える稽古にはならない。

相撲や剣道でよく使う「蹲踞(そんきょ)」もよい。特に、足の親指の付け根に力を集めると、力が内に集まり、瞬発力が出やすくなる。相撲の四股を踏むのもよい。このときも、支える足の重心を踵と小指の付け根のラインから、踵と親指の付け根のラインに移動して足を上げないと体が安定しない。

また「陳式」のように、外を歩くときに足の指全体で地を掴むように歩くと指が活性化するし、親指も鍛えられる。体の隅々まで神経が行き届き、自由に動けるようにするのが、体の鍛錬である。足の親指を使う使わないはともかく、手先だけでなく足先まで、手と同じように動き、使えるようにしたいものである。

参考文献   「柳生新陰流を学ぶ」 剣道日本 赤羽根龍夫