【第93回】 深層筋

剣豪小説には凄腕の主人公と斬られ役の人物が登場する。斬られ役にも強いのがいるが、凄腕の主人公とは雲泥の差があり、適わないことになっている。主人公が常に勝つ、勝たなければ小説にならないからといえばそれまでだが、ただそれだけではないように思える。読者は主人公に何かを期待し、無意識のうちに自分もそうなりたいと思っているものがあるからではないだろうか。

主人公が強くて、常に勝つのは、敵より力が勝っているとか、剣の捌きが早いからというだけではないだろう。そうだとすると、主人公はたまたま運がよかったので勝っただけということになり、読者としては安心できない。なぜならば、敵と同じ質(次元)で戦っているわけだからである。主人公が勝つのは、敵と質が違うもの、次元の違うもので闘うのでなければならない。

敵との質の違うものの一つは使う筋肉にあると思う。だいたい剣豪小説の斬られ役は大柄で膂力があるのだが、使う筋肉は浅層筋(表層筋)を使っていて、一方主人公の方は深層筋を使うことにあるのではないか。深層筋は歳を取っても鍛えることができ、歳を取っても衰え難いといわれるので、老年で凄腕の主人公が出てきても、誰も違和感がない。

合気道はまず合気の体をつくらなければならないので、若いうちは力いっぱい稽古するが、この時期は主に浅層筋(表層筋)を鍛えることになる。裸になれが、力瘤ができる、筋肉隆々の体ができるわけだ。若者はまずそういう体ができるような稽古をしたいものである。しかしそのような体ができ、力がついたら、次の段階に移らなければならない。次のステップは深層筋を鍛えはじめることである。

浅層筋は深層筋の働きを止めてしまい、また歳を取るに従い弱っていくという性質があるようだ。「力む」というのは、この浅層筋を突っ張らせるので、深層筋の働きを阻害することになる。浅層筋は柔らかくなければならない。かつて開祖の受けを取った折に、何度か手を持たせて頂いたが、柔らかかった。もちろん、芯は磐石であった。このような感覚を体験して、本や雑誌で紹介している方は沢山いる。またある先輩が開祖の体を指圧されたとき、指がスーットはいるが、指の力が体にぶつかったところから、逆に指が開祖の体からの力で弾かれ、非常に疲れたといわれていた。これはどういうことかというと、浅層筋は軟らかで、深層筋が強靭であるということであり、浅層筋を柔らかくし、力を込めず、深層筋を鍛えなければならないということであろう。

では、深層筋を鍛えるにはどうすればいいのかということになる。深層筋を鍛えるのは、合気道だけではない。お能の動きでも、この深層筋を重視している。最近ではスポーツの世界でも、この深層筋の重要性が取り上げられ、実践化されるようになった。典型的なものは、アメリカ大リーグのイチロー選手である。彼のバッティング、走塁、送球での体の使い方は、彼独特の筋肉の使い方にある。イチロー選手は、浅層筋(表層筋)を緩めて深層筋を最大限に使っているはずである。ということは、深層筋は大事であり、また深層筋を鍛える方法があるということである。

深層筋を鍛えるにも、どの深層筋を鍛えればいいのか分からなければ鍛えようがないが、まずは力を出しても、浅層筋(表層筋)が固まらない稽古をすべきであろう。そのための合気道の稽古としては、一つは相手との接点である支点を動かさないことである。支点を動かすと浅層筋(表層筋)に必ず力みがでる。支点を動かさないと支点までの体の部位を緩めることができる。この状態で支点との対極を動かせば、相手に違和感を持たせない「わざ」がかかる。これで深層筋が働くようである。もちろん力を抜いた分、「気」をいれていなければならない。また、呼吸、息の使い方も大事である。息を吐くと浅層筋(表層筋)を固めてしまうからである。

合気道の形は、この深層筋を鍛えるということに関しても「秘儀」であり、どの合気道の形でも鍛えることができなければならないはずだが、強いて挙げれば、相手に片手や諸手で持たせるものであろう。例えば諸手取りや片手取りの呼吸法、四方投げなどある。慣れてくれば、手だけでなく肩や胸を持たせての稽古もいい。二教は浅層筋(表層筋)を使ったら、一寸鍛えた人には掛からない。菱形筋などの深層筋でないと決めることは難しいし、相手に本当に納得してもらえない。

深層筋を鍛えて、出来るだけ長く稽古を続けたいものだ。