【第654回】 胸を鍛える

武道は腹が大事だといわれので、腹を鍛える。確かに、腹がしっかりしていないと、力も出ないし、技もつかえない。腹に力と息を溜め、腹から力と息を出し、腹を鍛えなければならない。
しかし、最近、腹だけでは限界があるように思えてきたのである。取り分け、正面打ち一教と剣の素振りにおいて、それを痛感するようになった。
正面打ち一教で、相手の手を腹の吐く息で切り落したり、抑えたり、投げたりすると、息がなくなり動作がそこで切れてしまい、それでお終いということになってしまうのである。次の動作には新たなイクムスビなどでやり直さなければならない。
また、剣の素振りで、腹で切り降ろすと、そこから腹で振り上げることになるので、早い動きが難しくなる。一刀両断にはいいだろうが、多人数に対しては問題である。

大先生をはじめ、大先生の直弟子だった先生方、例えば、藤平光一先生、斉藤守弘先生、多田宏先生、有川定輝先生、は下腹が張って巌のようにがっちりしているだけでなく、胸も厚みがあり、腹と同じようにがっちりしている。
そこで腹だけでなく胸も鍛えなければならないと思う次第である。

一教でも入身投げでも、技は一呼吸で決める事もできるが、技を練るためには、息は一度だけでなく、動作に応じて、吸う,吐くを繰り返さなければならないことになる。この息づかいは、腹では難しく、胸でやらなければならない。これまでの胸式呼吸を更に進めた胸式呼吸である。

この胸式呼吸を使うための前提条件があると思う。
まず、天地と腹を阿吽の呼吸で結ぶこと(阿吽の呼吸でないと、天と地を同時に結ぶことはできない)。そして天からの気と力を胸にため、胸を気で満たす。この満ちた気を胸の縦横の十字で、胸を横に開いたり、上に上げたり落としたりする。

この胸式呼吸で胸が十字に動くと、下腹と結び、胸と下腹が連動して動く。ということは、胸を鍛えると腹も鍛えられるということになるだろう。

胸が閉じている。これでは技は効かない。胸を開かなければならない。
胸を開くとは、胸を張ると言ってもいいだろう。しかし、技をつかう動きの中で、胸を張るのは容易ではないだろう。何故ならば、これまで鍛えてきた腹に力を入れると、胸が閉じてしまうからである。

胸が開かないと、大きな力が出ないし、手を迅速につかえない。胸は法則に従わないと開かない。
例えば、脇につけた両腕を横に上げても、腕は肩の高さまでしか上がらず、これ以上、上がらないはずだ。この状態ではまだ胸は開いていない。
胸を開くには。胸に息を引く(吸う)と胸に気が充満し、胸が張る。そうすると肩が緩み、その肩の高さにあった腕が更に上がるのである。

胸に天地の気を満たし、息を十字につかうと、胸に力が集まり、胸が張り、胸は鍛えられ、柔軟で強靭になるので、胸幅が広く、厚くなることになる。

胸が鍛えられてくると、それまでの腹からの力以上の大きな力が出るようになるし、切れない連続した動きからの力を出すことができるし、連動して腹も鍛えることになるようだ。剣も力強く、重厚に、そして素早く振ることができるようになる。
胸を鍛えよう。