【第636回】 しっかり持たせ、しっかり打たせる

大先生がご健在だった晩年の時期の5年ほど本部道場で稽古をしていた。道場は木造平屋で、稽古人もまだそれほど多くなかった。大先生は岩間で奥様と住まわれておられたこともあり、いつもは東京の本部道場におられなかったが、時々、本部の稽古に顔をだされ、技を示されたり、お話をされていた。
私が入門した頃は、大先生はまだまだ力がみなぎっておられたようで、片手に持った杖を2,3人の内弟子や先輩たちに押させるのだがびくともせず、最後に杖を押していた弟子たちを地に臥させておられたが、これが合気道かと驚嘆したことを覚えている。

当時の稽古は、力を一杯入れて、相手の手を掴んだり、打ち込んだりしていた。諸手取呼吸法はどの先生もどの時間でもよくやられたが、先輩たちの腕の毛は擦り切れて無くなっていたり、また、黒い太い毛が生えていたりと、通常の人の腕とは違っていた。その先輩たちは、よく我々初心者たちの腕を掴んで、まだまだだなと言ったり、大分太くなったな、などと言われていたものである。腕を見れば、どのぐらいの力があり、どのくらいのレベルなのか分かったのだろう。

しっかり持たせて諸手取呼吸法をやるのは容易ではない。相手は先輩が多かったわけだし、まだ力もついていなかったこともあるからである。
正面打ち、特に一教はよくやったが、この稽古は厳しかった。相手は思い切って打ってくるのをまともに受けるから、尺骨が赤く腫れる。その腫れたところを、また打たれるからである。人は無意識のうちに、相手の一番弱いところを攻めるという習性があるようである。

腕が痛いからと、よく稽古を共にしている同僚に、柔らかく打ってくれと頼み、打ってもらっていたのを、大先生に見つかってしまい、そんな触れたら倒れるような稽古はするなと、大目玉を食らったのである。詳しいいきさつと結末は省くが、要は当時、力一杯稽古をしなければならないということであったのである。

前置きが長くなったが、言おうとしていることは、今の稽古は当時に比べて変わったということである。これまでは時代が変わり、人が変わったので、稽古のやり方もかわったのは仕方がないのだろうと思っていたが、やはり、時代が変わっても、変わってはいけないものがあるように思うのである。

その理由は、合気道は過去現在未来を超越したものであるからである。つまり、過去の武人にも、未来の武人にも恥ずかしくないような稽古をしなければならないはずだからである。何時も、道場で稽古をする時、大先生や有川先生がご覧になっていても、昔のようにそんな気の抜けた稽古をするなと大目玉を食らわないように、また、有川先生に「なにやってんだ」などと言われないように稽古をしようと思っている。

諸手取だけではなく、片手取り、後ろ取、坐技呼吸法でも、相手が満足するよう、そして好きなように、しっかり持たせることにしている。
勿論、初めはがっちり持たれた手を動かすことも、技も使えなかった。何とかしようと、力をつけたり、体当たりをするなどと勢いでやったりもした。しかしそれも駄目だという事で、何とかしようと、真剣に考えた。先生の教えにじっくりと耳を傾け、先生の技や動きを目で注視した。
そして、やる事をやって壁にぶつかったら、それまでやってきたことと異質のことをやらなければならないことが分かったのである。もし同じように、力に頼った稽古を続けたとしたら、道に外れる邪道に陥ったか、体を壊して引退していたはずである。
壁を乗り越えたのは「胴体より太い腕はない」という、有川先生の教えの言葉であった。

また、受けがしっかり持つ、しっかり打つということは、受けの役目である攻撃の仕事をしっかりとやるということになり、いい稽古ということになる。実際、掴んでいるのかどうか、掴む気や打つ気があるのかどうかわからないような攻撃をされると、稽古にならないものである。

慣れて来れば、相手がどんな持ち方、打ち方をしようがどうでも出来るし、相手をしっかり攻撃させるようにもできるが、はじめはお互いにしっかり攻撃し、それをしっかり受け止める稽古をしなければならない。逃げたり、誤魔化しては駄目である。先に結びつかないことはやっては駄目だからである。

しっかり持たれたり、打たれたりすれば、初めはうまく捌けないはずである。だから、そこで何故上手くいかないのか、その理由、そしてその解決法を考えるわけである。それが本当の稽古である。心の稽古、見えない世界の稽古に入っていくわけである。
実際は、技などそう容易に掛かるものではないのである。だから稽古の意味があるわけである。簡単に出来ることなど、長年時間と労力を掛ける意味がない。

大先生がご覧になっているとしても、恥ずかしくないようにしっかり持たせ、しっかり打たせて稽古すべきだと思っている。