【第629回】 肉体は理によってつくりあげるものである

合気道は相対の技の形稽古で、技を掛け、受けを取り合って体をつくっていく。1、2年も稽古を続ければ、誰でもそれなりに、合気道の体はできてくる。体ができてくると、それなりに技もつかえるようになる。
そうすると、相手を投げたり、抑えることに喜びを覚え、受けもどんどん取れるようになり、そして、これで合気道ができたと思ってしまうものである。

しかしながら、当人は、その当時は気が付かないものだが、肉体も技もまだまだ未完成なのである。本人の意識と実力や周囲の認識との差があるのだ。実際、先輩はもちろん、同輩にも技は効かなくなるだろうし、初心者にちょっと強く抑えられたり、頑張られると動けなくなってしまう等、自信消失を味わうようになるはずである。

ここからが、次への次元の稽古に入るのである。それまでの稽古で身につけたモノを土台にして、更に技を磨き、体をつくっていかなければならないのである。体を無駄なく効率的につかい、これまでの末端の腕力から、腰腹の力をつかうようにするとか、魄(腕力、体力)に頼らない、技づかいをするのであるが、そのためにも更なる体づくりをしていかなければならない。

それでは、その為にどうすればいいのかということになる。それは「理」によって、肉体をつくりあげていくことであると、大先生は言われているのである。
大先生は、「武魂を容れるの善美なる肉体は理によってつくりあげるものである」(合気神髄P.21)と云われているのである。「理」とは、「物事のすじ道。法則。ことわり。道理」(大辞林)である。

つまり、それまでのように元気いっぱい動き回っても、善美の体、つまり、合気道で探究している肉体は出来ませんよということである。
それでは善美の体をつくるにはどうすればいいのかということになるが、それは、宇宙の営みと宇宙の法則に則ってつくりあげていかなければならないのである、これを「理」で造り上げる、理合いの体づくりというと思う。

宇宙の営みと宇宙の法則に従うとは、これまでも書いてきているように、天の気と天地の呼吸に合わせ、陰陽十字で、気と息で体をつかっていくことである。
技づかいと同じである。だから、いい技は理に叶っているわけだから、同時に、その体づかいも理に叶っていることになり、結果として、体がつくり上げられているということになるわけである。
従って、技が良くならず、体をこわすようならば、どんなに強くとも、理に反した体づくりをしていることになってしまう。
相手を何とかしようなどと考えないで、己の体を「理」によって造り上げていきたいものである。