【第593回】 体が軽視されているのでは

入門した頃と今の稽古人の大きな違いの一つに体があると思う。私が入門した頃の稽古人達は、先輩になるのでそう見えたのかもしれないが、強かったし、体ががっちりしていた。年配者の多くは戦争を体験した人達だったり、多くの先輩たちは、他の武道、剣道、柔道、空手やスポーツなどをやってきていた。何も武道やスポーツをやってこなかった稽古人は、やってきた人たちに引けをとらないように、剣や杖を振ったり、空手の突きの稽古を自宅で自主稽古していた。先輩たちから言われたのは、合気道で初段なら、剣道の初段、空手の初段のレベルまで剣や手・拳がつかえるようにしなければならないと教えられた。

私がお世話になった先輩も、他の武道はやってこなかったので、人に負けないように大分頑張っておられた。例えば、仕事前に、朝6時半からの朝稽古に出て、帰宅して夕食後は、必ず剣と杖を振られていた。また、よく週末は、土曜日の最終電車で高尾山に登り、頂上で剣と杖を振り、そしてそのまま寝ないで日曜日の昼頃まで歩き、夕方、下山するという鍛錬をされていた。
私も数回か連れて行ってもらった。夜中、懐中電灯だけで一人で真っ暗な山を歩くとしたら、度胸がいるので、精神の鍛練になるし、また、足腰の鍛練になることがわかった。
この先輩は、この山登りを一回すれば一週間分の稽古をしたのと同じ鍛錬になると言われていたが、実際、山から帰った稽古では、確かに数日の間、体が軽くなり、受け身など自由に取れたものである。

あれから50数年経ったわけだが、稽古人は変わってきている。かっては、いろいろな武道やスポーツをやって、それに満足できない人の多くが合気道に入ってきたわけだが、段々と他の武道やスポーツはきついので、楽そうな合気道に入ってきているように見える。従って、稽古人の多くは体を鍛えていない人が多いし、体を鍛える大事さ、体の鍛え方等を知らないように見える。

体を鍛えるとは、合気道的な鍛え方である。それを知らないと、スポーツジムなどでの鍛え方をしてしまう。典型的な例は、腹筋運動や腕立て伏せ運動などである。これを道場でやっている人は、大体、体を壊しているようである。

合気道的に体を鍛えるとは、理合いで体をつくり上げていくことであろう。
理合いとは、宇宙の法則、時間空間を超越した法則に合っていること、逆らわないことである。例えば、前述の腹筋運動であるが、体の腰を用としてつかってしまうと、腰を痛めるのである。体は支点であるから、合気道の法則によって支点は動かしては駄目なのである。腰の対照にある、用の腹でやらなければならないのである。

合気道は宇宙の法則に則った技を身につける稽古をしているわけだから、技の稽古をしていけば、理合いの体ができるはずである。
また、体は息でつくるともいえるだろう。イクムスビや阿吽の息に合わせて体をつかえば、体はできてくる。例えば、強靭で真っすぐな手刀はこの息でつくらなければならない。

技を上達したいと思うなら、頭であれこれ考えるのではなく、先ずは体をつくり、体と対話しながら稽古することである。
体を軽視したり、無視すると、体はそっぽを向き、何も教えてくれないので上達はないことになるはずである。