【第584回】 足が手より先に

合気道は技を掛け合いながら技を磨く稽古をしていくが、この技が中々思うように掛からないものである。思うようにとは、自分が満足でき、受けの相手も納得する技であるということである。勿論、たまに上手くいくこともあるし、相手によっては上手くいくこともあるものだが、それでは不十分なのである。不十分ということは、まだまだ不完全ということである。誰に対しても、何時でも、どこでも上手くいき、満足できるようにならなければならないのである。

少なくとも、地球上では、どこの地域や国の人にも上手くかからなければならない。地球上の稽古相手に技が掛かる、技が効くということは、そこには共通の法則があり、その法則に則って掛けた技に納得し、満足するということであると考える。
その法則を合気道では「宇宙の法則」と言っているはずである。この法則に則った技をつかえば、相手は誰でも、いつでも、どこでも納得し、満足して倒れてくれるはずである。

そのためには多くの法則を身につけなければならない。法則は「宇宙の法則」と言われるように、無限にあるはずである。無限という事は、学ぶにこれでいいという限界がないということである。
また、上手、下手の基準は、どれだけこれらの法則を会得し、身につけて使えるかであると考える。

合気道の技は手で掛けるが、はじめから手で掛けては上手くいかないものである。これはパラドックスであるが、合気道にはパラドックスが沢山ある。これらのパラドックスから、合気道は動く禅などといわれるのだろう。
さて、技は手で掛けるが、手で掛けないということになるが、これを解説すると、「技は手で掛ける」は結果であって、次の「手で掛けては」は手段・方法ということになる。つまり、技は、最後の決めは手によって決められたり、投げられたりするが、初めから手によって技を掛けては駄目だということである。

それでは手によらなければどうすればいいのかということになる。
技を掛ける、技で相手を導くために大事な事は、「手、足、腰の心よりの一致」(『合気真髄』)であると言われる。手、足、腰をしっかりと結び、そして心で手、足、腰を結び、心で手、足、腰を導いて技にしていくのである。

これを開祖は、「手、足、腰の心よりの一致は、心身に、最も大切な事である。ことに人を導くにも、また導かれるにも、みな心によってなされるからよくよく考えること」(『合気真髄』)と言われている。

手、足、腰の一致とは、体の中心である腰に末端の手と足を結び、腰で手と足をつかうという事である。そしてこの腰を中心に手と足を導くのが心ということになるわけである。従って、技は心で掛けるということになるわけだが、われわれ凡人にはそれはまだ難しい。
何故難しいのかというと、その前にやるべきことがあり、それができなければ心で技なぞつかえないはずだからである。

そこで手、足、腰の一致ができたら、つぎはこれらのつかい方である。手、足、腰づかいにも法則である。
技をつかう際に、まず動くのは心である、次に腰、その次が足、そして最後に手である。この法則を破れば技は上手く掛からないものである。初心者は、この真逆で技を掛ける傾向にあるようだ。まず手を出し、腰を引き、足を出したり居ついたりするである。舟漕ぎ運動などにもその傾向がよく表れる。

一教でも、入身投げでも、四方投げでも足が出てから手が出なければならないのである。これは法則であるから、坐技呼吸法でも半身半立ち四方投げでも、腰、足、そして手の順で動かさなければいい技は生まれないのである。
取り敢えず、足が手より先に動けるように稽古をしなければならない。