【第534回】 ひびく体 その2 ひびく体への稽古法

前回は「ひびく体 その1 ひびく体とは」を書いた。今回はその続きとして、ひびく体をつくるためには、どのような稽古をすればいいのかを書いてみたいと思う。

ひびく体は、開祖という目標があるものの、どのように修業をすれば、開祖のようなひびく体がつくれるのかが問題である。しかし、他の問題同様に、開祖はその問題を解くカギを示されている。只、現代的な試験回答のように、単略的で即物的な回答ではなく、知るべきこととやるべきことを一つ一つ積み重ねていかなければ、解らないし出来ないようにできている回答である。その積み重ねていく問題と回答の一つ一つが、次の段階の扉を開けて進むためのキーということになる。開祖の教えに従って、一つ一つのキーで扉を開けて進むほかないのである。

合気道は引力の養成であるともいわれる。稽古を積むに従って、稽古の相手にくっついて離れ難くなってくる。相手がしっかり掴まなくとも、こちらの指一本で相手の手に触れても、相手にくっついてしまい、相手と一体化することができるようになる。
しかし、磁石でもないのに、肉体と肉体がくっついてしまうというのは不思議なことである。肉体の磁石などないわけだから、何故、肉体と肉体がくっつくのかを解明しなければならないだろう。

それが「ひびき」のなせる業と考える。己の体のひびきによって、相手の体のひびきと相互交流するのである。それが引力として働くわけである。
つまり、合気は引力の養成であるということは、ひびく体を養成するということになるはずである。
ということは、逆に考えれば、引力を養成することがひびく体をつくることにもなるだろう。

引力を養成する稽古法は、合気道の形稽古での技の錬磨でやっているはずである。宇宙の法則に則った技を、その法則に則った体づかい、息づかいで練っていくのである。合気の道に則った技の錬磨をしていくということであるである。
これは開祖が『武産合気』や『合気神髄』などに懇切丁寧に書かれているし、私もこれまでの論文でも書いてきている。
ひびく体への稽古法は既にあるし、表わされているのである。後はそれを信行するかどうかということになるだけである。

引力を養成して、ひびく体をつくっていくと、これまでと違った世界に入っていくようである。例えば、草花や木々が違って見えてくるようになるし、草木と自分との関係が変わってくるのである。これまでは草花や木々を自分と関係のない、只の物と見ていたが、それが生命力の或る愛しい生き物であり、自分たちと同じく宇宙生成化育のために生きている同朋と見るようになるのである。これは己と草木のひびき合で相互交流しているということになるだろう。今まで雑草として邪魔者あつかいしていたようなものでも、愛しくなり、抜き取ったり、むしり取るという気持ちにはならなくなるのである。

また、これまでうるさく、騒がしいと思っていた幼児などに、生命力あふれる、自然なひびきを感じるようになる。幼児とのひびきの相互交流である。幼児とそれができれば成人でもできるようになるはずである。

また、植物や人間とひびきの相互交流ができれば、いずれ宇宙ともできるはずである。私はいつもお日様(天照皇大神:あまてらします すめおおかみ)を肉眼で見ている。ただ見れば目を傷めるが、ひびく体(目)で見ているから、ひびきの相互交流があり、見ることができるのだと思っている。
おそらく、この延長上に宇宙とのひびきの相互交流があるはずである。