【第510回】 腰を入れる

初心者の頃であるが、師範や先輩に「もっと腰を入れろ」と注意を受けていたことを、最近、思い出している。技をかけようとしても、体が浮き上がって、手先に力を集中できないし、相手にぶつかられたり、少しがんばられると、こちらの体がふっとんだり、よろけてしまったりしたのである。

自分でももっと腰を入れ、地に密着するような体づかいをしなければならないと思ったものだが、どうすれば腰を入れることができるのか皆目見当がつかず、これまで勢いと気魄で弱点を補っていたようなものだった。

武道家には、腰のどっしりした人が多い。合気道を稽古している周辺を見ても、自分より腰が重そうな人が多いようである。腰が重いということは、腰が入っていることになるから、「腰を入れる」問題はないのではないかと思う。

幸か不幸か、自分は腰が軽いという欠点を持っている。この原因は、おそらく中学、高校でハイジャンプをやって、重心を上にあげる訓練をしていたためであろうと考える。これは、武道の稽古のためには不幸である。しかし、幸もある。腰が軽いために、腰を入れるための研究と努力をしなければならなかったことである。

まず、腰が軽いとはどういうことなのか、その欠点を見てみると、簡単にいえば、力を入れれば入れるほど自分の体が相手から弾きとばされ、地から浮き上がってしまうことである。技としてつかうべき自分の体重が有効につかわれない、ということなのである。

それでは、この問題を解決するためにどうすればよいのか、これまでの結果を提示してみることにする。

以前から書いているように、技の錬磨においては体重を技につかっていかなければならないが、そのためには呼吸が大事である。天地の呼吸と、イクムスビの呼吸である。この二つの呼吸で、息と体重を地底に下ろすのである。しかし、息も体重も地底になかなかうまく下りないものである。

体のつかい方も大事である。息に合わせて、体をつかわなければならないのである。息を吐きながら踵を地につけ、息と体重を地底に下ろし、そして5本の足指に体重をかけながら、息を吸うのである。ただし、息を吸っても、息と体重は引き続き地底に下り続けていなければならない。息と体重が下へおりていくと、面白いことに、気は天へ上がってくるのである。この感じは、両手を広げて深呼吸するのに似ていると思う。息と体重は、下と上に向かうのである。

だが、これだけでは息と体重が地底に下りていくのは、まだ難しいだろう。息も体重も地で弾かれてしまって、完全に地へは下りていかないことが多いのである。

息と体重が地に下り、その息と重い体重を手先でつかえるためには、「腰を入れる」必要がある。腰を入れるとは、股関節を十字につかうことであると考える。息を吐きながら踵を地につき、体重を踵側の股関節に上からかけ、そして息を吸いながら、体重を踵から爪先(5本の指)にかける。

そして、ここからさらに息を吸い続けながら、股関節を支点にして体を十字に返すのである。四方投げなら内旋、一教なら外旋である。この時、股関節に腰がめりこんでいく気持ちになる。これが「腰が入る」「腰を入れる」である、と実感できる。

この「腰を入れる」ことによって、難解だった正面打ち一教が、これまでのようにぶつかったり、相手を弾き飛ばすようなこともなく、円くさばけるようになった。また、四股踏みでも地に体重がおりるようになって、ふらつきが少なくなったし、電車で立っていても、腰を入れることでふらつきがだいぶなくなった。

かつて本部の有川先生とは、電車やバスでよくご一緒させて頂いたものである。その時、先生は多少車内が揺れてもふらつかず、しっかり立っておられた。それで、ふらつく自分とはどこが違うのだろう、とよく考えたものである。当時はわからなかったが、今にして思えば股関節の柔軟性がその最大の理由であったようだ。

腰が入らないと、股関節を十字につかえないことになるから、体を左、右に変換する場合、腰(腰椎)や膝をねじってしまうことになる。その不自然な体づかいから、膝や腰を痛めることにもなると考える。体を痛めないためにも、腰を入れて稽古をしなければならないだろう。