【第486回】 三元の稽古 その2.気・流と生結

本当の合気道の力をつけるためには、三元の気流柔剛と、その働きである生結(イクムスビ)、足結(タルムスビ)、玉留結(タマツメムスビ)の錬磨が必要である。今回は、前回に続いて、「気流と生結」について書くことにする。

剛の稽古がある程度できるようになり、玉留結で多少の剛の力とも結んで離れないようになってくると、柔の稽古も自由にできるようになるだろう。すると、呼吸力という力がついてくるし、その呼吸力には引力が働く。呼吸力は体の陰陽、体と息の十字によるものであり、それらが身についた結果、出てくるものであるからである。

技をつかうに際し、剛、柔、流、気の三元をつかえるようになれば、完全な体ができるようになるし、技も完璧になっていくわけだが、前回の剛、柔の稽古までは誰でも考えつくだろうし、それほど難しい稽古ではないだろう。

さて、真の合気道の力を出すための次の稽古は、「流」である。私流の「流」の稽古とは、相手にちょっと触れて、相手と結び、相手を導いて技をつかう稽古、と考えている。例えば、通常の片手取り呼吸法とは、受けの相手がこちらの手を抑え、それを返して技をかけるわけだが、「流」では、逆にこちらが、取りに来た相手の手にちょっと触れて、そのまま相手を導いて、技をかけてしまうのである。この「流」の働きを生結(イクムスビ)と考える。

この生結には、もうひとつの意味がある。息づかいである。イと吐いて、クと吸って、ムと吐いて、スと吸う息づかいである。縦の腹式呼吸で吐いて、横の胸式呼吸で吸うのである。生結(イクムスビ)には、「流」の働きと息づかいとの違いがあるかもしれないが、「流」で技をかける際には、この生結の息づかいをしなければならないから、同じことになるのかも知れない。

次は、三元の気である。気で技をつかうのである。相手に触れずに相手を導き、倒してしまう技である。晩年の開祖がされたのが、これである。

この気の働きが、「気結び」である。開祖が頻繁に「気結び」「気結び」といわれていたことを思い出す。前回の論文にも、この論文にも、まだ出てきていないが、ここに出てきたので、これで三元とその働きのバランスがとれることになる。つまり、改めて並べてみると、「気流柔剛」と、その働きである「気結、生結、足結、玉留結」、となるわけである。

気で技をつかえるようになれば、三元の稽古も修了ということになるだろうが、その前の流、柔、剛の稽古をしっかりやらなければならない。それらのやるべきことをやらずに、格好いいからとか、楽だからと、相手に触れずに倒すような稽古は慎むべきだろう。見る人が見れば、下地の無いこと、実力がないことなどが見破られてしまうものだ。

本当の合気道の力を出そうと思うなら、三元の稽古をしっかりとやらなければならない。