【第472回】 自分の体重を技にする

本部道場で長年師範をされていた有川定輝先生が亡くなられて、もう12年あまりになるが、先生にはいろいろな事を教わっていたことを、今さらながら思い知らされる。

1999年2月24日からお亡くなりになるまでは、先生の稽古や食事などご一緒した時に先生から教わったことを、メモするようにしていた。当時メモしたものの、自分ではよくわからなかったものも多く、最近になってやっとその意味が分かるようになったものもある。

例えば1999年8月25日の先生の稽古のテーマは「自分の体重が技にならなければならない」であった。先述のように、稽古のテーマは分かっていたが、それがどういうことなのかは分かってなかったといえよう。

この「自分の体重が技にならなければならない」は、技をつかう際に非常に重要である。というより、体重をつかわなければ、満足な技にならないはずである。

例えば二教小手回しであるが、相当鍛えた相手に対して、小手先の力では効かないものだ。しかし、相手が多少力が強くても、その箇所にこちらの体重をかけることができれば、体の重さである体重の力に対してがんばるのは難しいであろう。

二教だけでなく、すべての技(正確には、技の形)で体重を有効につかうようにしなければならない。これは、間違いなく真理であるといえよう。

ちなみに、「自分の体重が技にならなければならない」のテーマで稽古があった日に、先生が示された形は、諸手取呼吸法、正面打ち一教、正面打ち入り身投げ、正面打ち小手返し、横面打ち体捌き、横面打ち呼吸投げ、横面打ち四方投げ、であった。つまり、先生はこれらの形が、体重を技になるための稽古として、最適なものだといわれているわけである。

次に、「自分の体重が技にならなければならない」の「体重が技」になるとはどういう意味か、ということである。これには、二つの意味があると考える。

一つは、二教小手回しのように、体重で技がかかるようにすることである。
また、一教も体重を技としてつかわなければ、うまくかからないはずである。

二つ目は、体重を宇宙の法に則ってつかわなければならない、ということであると考える。合気道の技とは、宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の条理・法則に則ったものであるから、体重も技と同じようにつかわなければならないはずである。

体重が技になる意味を、あえて二つに分けたが、この二つはそれぞれ根っこのところでつながっており、同じことになるはずだ。つまり、体重を宇宙の法に則ってつかえば、その体重を技としてつかえる、ということである。

それでは、体重を法に則ってつかうと、どういうことになるかを書いてみる。