【第469回】  魂の力を出すために

『合気道の思想と技』の第470回「心魂の禊」で書くが、こころには顕界のこころと幽界のこころがあり、幽界のこころこそが魂であろう。

相対で技をかける際に、腕力や体力の力でやるよりも、それを土台にし、こころで己の体を導く方が、相手を導きやすいし、技も効きやすいことは確かである。しかし、この場合のこころとは、恐らくまだ顕界のこころのはずである。

一般に合気道の技の錬磨の稽古は、どうしてもこの顕界のこころでやってしまう。そのため、あまり大きい力も出せずにぶつかりあったり、相手を承服させることもできず、うまくいかないものである。

幽界のこころ、開祖はこれを「本当の自己のこころ」ともいわれ、また「魂」ともいわれているので、これからは「魂」ということにしたいと思う。そこで、この魂の力はどのようにすれば出るか、そして、どのようにつかえばよいか、等を研究しなればならないだろう。

これも度々書いたことではあるが、顕界のこころで受けの相手に技をかける際には、生産びの呼吸でまず息を出しながら(吐きながら)相手に接して、相手と結ばなければ、その後は腕力に頼らざる得なくなる。そして、魄の稽古になってしまうのである。

これは宇宙の法則であるはずだから、この法則は他でも通じなければならないだろう。そこで、今度は技をかける際に、最初に稽古相手と結ぶのではなく、天と地に結ぶのである。生産びのイと息を吐いて、天と地と結び、そして相手とも結ぶのである。そして、クーと息を入れながら、天の気と地の気(エネルギー)を身に満たし、相手を導いていくのである。

これまでは、生産びとこころで技をかけてはいたが、これは己の力だけでやっていたわけである。今度は、天と地の力(気)が手助けしてくれることになるのである。

開祖は「天の気は日々、地と結んで潮の干満、そのたまをいだいて行うのが合気道」(「武産合気」)といわれている。また、「天の呼吸は日月の息であり、天の息と地の息と合わして武技を生むのです。地の呼吸は潮の干満で、満干は天地の呼吸の交流によって息をするのであります。」ともいわれているわけだから、天の気、天地の呼吸をいただいて行わなければならないことになるだろう。

しかしながら、相対の稽古相手と結ぶのは何とかできても、天と地と結ぶのは容易ではない。だが、そのヒントも開祖は示されているようだ。

それは、「自己のこころは自己のこころで祓い、御剣を通して本当の自己のこころから立て直す。これが大神に神習う心魂の禊である」(『武産合気』)の中にある「御剣(みつるぎ)」である。この御剣とはいうまでもなく、天の村雲九鬼さむはら竜王の「御剣」である。

つまり、「宇宙の気、オノコロ島の気、森羅万象の気を貫いて、息吹き、オノコロ島に発生したすべての物の気」で、いうならば、己を貫き通している天と地の気(エネルギー)ということになるだろう。

この「御剣」は目に見えないものであるから、顕界の目ではなく、幽界の目でみなければならないし、幽界のこころ、つまり魂でつかわなければならないことになる。まずは、「御剣」がみえるようになるように、己の魂を禊がなければならない。そのためには、稽古のやり方、考え方も変える必要があるだろう。

つまり、魄の稽古から魂(真のこころ)の稽古へと変えるのである。目に見える世界ばかりを追うのではなく、目に見えない世界を明らかにし、この世に和合をもたらす、真の武道の完成を目指すようにしなければならないのである。

そのような修業の次元に入れば、己の魂は「御剣」で禊がれ、そして大先生の守護神であった天の村雲九鬼さむはら竜王がお力をお貸しくださるだろう、と考える。