合気道は技を錬磨しながら精進していくが、技の錬磨とは、宇宙の営みを身につけ、そして、呼吸力をつけていくこと、と考える。そのために、相対で技をかけあい、受けを取りあって、技の形を繰り返し稽古するわけである。
技が宇宙の営みに則っているかどうかは、誰も判定してくれない。判定人もいないし、宇宙もそんなことには無関心であるようだ。つまり、自分自身で判定するしかないことになる。だから、自分の技はその良し悪しをいか様にも判定できることにもなる。だが、本人の価値基準、人生観、美的センスなどによって判定されるわけだから、それらのレベルを上げていかないと、低いレベルの技で満足することになる。
かけた技で相手が倒れたら、その技がよい、つまり宇宙の条理に則った技である、とは限らない。相手が弱かったり、力不足ならば、何をやっても倒れることだろう。
よい技をかければ相手は倒れるわけだが、それは、その技に納得して倒れるはずである。なぜならば、その技は宇宙の条理・法則に則ったもので、自然であり、理合いで、無理がない、相手の肉体にも心にも反抗心を起こさせないものだからである、と考える。
技が宇宙の法則に則る理合いであるためには、技をかける体は宇宙の営みに従った、理合いのつかい方をしなければならないことになる。いうなれば、体のすべての部位を理合いでつかわなければならないのであるが、今回は、直接に技をかける手の先、手先について研究してみたいと思う。
手先と腰腹は結ばれて、腰からの力を使うわけだが、腰からの力を手先に通すのは、容易ではないだろう。それは、頭で考えてできるものではない。腰、胸鎖関節、肩関節、肘関節、手首の関節などのカスをとらなければならないし、とりわけ肩を抜かなければならないのである。
この段階まではすでに書いているから、この次の段階に進むための、手の先端であり、腰の対照にある手先のつかい方を研究してみよう。
初心者のかける技はほとんど効かないものであるが、なぜ効かないかというと、法則違反をしていること、呼吸力が弱いこと、そして、合気の体ができてないし、体のつかい方がまずいことであると考える。
まずい体のつかい方のひとつが、手先のつかい方である。手首から先の手先が折れ曲がり、さらに、手の平を閉じてつかっているのである。これでは、腰の力が手先に伝わらないので、よい技はつかえない。
手は、肩から手先まで一直線になっていなければならない。だから、手先も、手の甲がまっすぐ伸びるようにつくっていかなければならない。手刀といわれるように、刀のように真っすぐ伸びていなければ、手刀として役に立たない。手先が曲がったり、伸びていなければ、なまくら刀になってしまって、使い物にならないだろう。
まずは、手先がまっすぐに伸び、名刀になるような手をつくらなければならない。次は、その手先のつかい方である。
初心者の手先のつかい方を見ていると、大体は手先が伸びてなくて、指先をまるめたままつかっている。その典型は、正面打ち二教である。手先を伸ばさないで二教の技をかけても、相手と一体化できないし、力が手先に集中しないから、技は効かないことになる。
正面打ち二教は、表でも裏でも、手先を伸ばしてつかわなければならない。力が出るだけでなく、腰で手先をつかうということが分かるだろう。手先を伸ばして使えないのは、末端の手先を動かして使うからである。
二教は手先を伸ばして使わなければならないことがよくわかる稽古であるから、そのためにも二教を数多く稽古することをお勧めする。
正面打ち二教などで手先を伸ばして使えるようになったら、他の形でもできるようにするとよい。特に、極意技ともいえる正面打ち一教である。これができるようになれば、手先を伸ばしてつかうことをマスターしたと言ってもよいと思う。
他の形でもそうだが、特に正面打ち一教では、己の手先を伸ばさないまま、相手の手をつかんでしまう傾向がある。もちろん、手先を伸ばして相手と接し、技をかけていくのは容易ではないだろう。しかし、それをやらなければ、相手に納得してもらうような技はつかえないはずである。
なぜそのようなことをいえるかというと、それはかつての有川定輝師範の教えであり、また、自分の稽古の結果だからである。
ありがたいことに、その有川師範の教えを示す画像があるので紹介しよう。