【第455回】 正面打ちの捌き(さばき)

開祖がおられたころの正面打ちの稽古は、今とはだいぶ違っていて、打つ方は力一杯打ち、受ける方も力一杯受けていた。だから、正面打ち、とりわけ正面打ち一教は、手が痛く、はれ上がったり、アザができるものと思って稽古していた。

しかし、当時ふしぎに思ったのは、先輩など強い人は痛くないようだし、アザもできないことであった。それに、先輩はふしぎにこちらの痛めたところやアザの箇所を、見定めたように打ち込んでくるのである。別にいじわるをしている様子もなかったのだが、自然に相手の弱い個所を感じ取り、無意識で攻めていたのだろう。

ある時、まだお互いに白帯だった稽古仲間同士で自主稽古をしていた。正面打ち一教をやっていたが、思い切り打ち合うと痛いので、こうすればよいのではないかと、打ち合うかわりに、触れ合うように腕を出して稽古していた。

大先生がそれを事務所の窓からご覧になっていたらしい。突然、道場に飛び出してこられ、そんな稽古をしていてはならん、と烈火のごとく怒られた。それも、張本人の我々ではなく、道場にいた数人の中の最古参に向かって怒られたのである。その最古参(もう亡くなられた師範)は、なぜ自分が叱られるのか、何が何だかわからないままに、ただ大先生に頭を下げておられた。気の毒な事をしたと反省したが、大先生は間違ったことを正すのが先生、先輩の役割であるから、悪いことをさせた責任は最古参にある、ということを示されたのだろうと、今では察するのである。

あれから、自分の正面打ちの打ち方も時流に乗ってどんどん変化してきた。大先生がご覧になったら、どう思われるかはわからないが、自分は大先生に叱られないようにしっかりと打ち、受けていこうと自覚して、稽古していこうと思っている。

正面打ちは、難しいものである。打つ側と受ける側が向かい合うし、腕もぶつかり合うからである。まともにぶつかれば、双方の腕は痛み、腫れてしまうだろう。開祖の居られたころは、その痛みや苦しみを経験し、そしてそれを乗り越えて稽古しなければならなかった。だが、今は時代が変わり、稽古の仕方も違ってきているので、昔のようにはできないだろう。

当時の稽古は力一杯打ったり、つかんだり、抑えたりすることによって、体をつくり、そして力をつけていったと思う。力とは呼吸力であり、引力を伴う力である。この引力で、相手をくっつけてしまうのである。

正面打ち一教の場合には、相手の腕と打ち合った瞬間に相手とくっついて、そこから相手を自由に導いていたものと考える。かつての先生や先輩には、そのような力があったことが思い出されるのである。

相手に技をかけるためには、最初に相手に触れた瞬間と箇所が最も大事であるから、正面打ちでは腕ということになる。

はじめは尺骨で受けるが、それでは相手の腕を弾くだけで、くっつけることはできない。これでできるとしたら、相手が親切に受けを取ってくれるおかげであろう。

この段階を抜け出すのは容易ではないが、抜け出さなければ先へ進めない。ポイントは「手刀」である。専門用語では小指外転筋(しょうしがいてんきん)というが、手の平の小指下にある膨らみのところで、相手の打ってくる腕を抑えるのである。空手チョップでの手刀の刃となる部分である。相手の打ってくる腕を抑えるのは、この「手刀」の一点しかない、と有川先生はいわれていた。(図)

*これまでは「掌底」としてきたが、これでは違った箇所の名称になるため訂正し、今後は「手刀」としていく。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。以前の箇所も訂正しますが、見落としがある場合はご容赦ください。

しかし、手刀で相手が正面打ちで打ってくる手を抑えるのも容易ではないし、毎回正確に抑えるのはほとんど不可能であろう。その理由は、試行錯誤の後に分かったのだが、法則違反の動き、体づかいをしているからである。つまり、手腕を縦に振り上げ、さらに手刀を縦に使おうとするからである。

そこで、腕を振り上げたら、相手の腕に触れたところで、手先を縦から横、つまり手刀を縦から横につかうのである。そしてその瞬間に、手刀のところから手刀を通して、相手と一つに結び、一体化するのである。

手刀をこのようにつかって、相手と結び、技をかけるためには、手と足が陰陽で規則正しくつかわれなければならない。また、手と同様に、腹も十字につかわなければならない。それに、中心の腰腹で、手刀をつかわなければならない。

特に正面打ち一教は、この法則の一つにでも違反すれば、うまくいかないはずである。だから、正面打ち一教は難しいのである。

正面打ちは一教だけではなく、二教、三教、四教、五教でも、入身投げ、小手返し等々でも、手刀で相手の腕をくっつけなければ、相手と一体化できず、うまくいかないだろう。正面打ち一教ができる程度に、あとの技はできるということである。だから、正面打ち一教は極意技なのである。