【第432回】 体での息づかい

技をつかう際の息づかいは、重要である。初心者の内は、息づかいの重要さに気がつかないで、あまり気にしないでやるから、かけた技は効かないことになる。初心者の息づかいの典型的な問題点は、技をかける際に、息と体の動きが一致してないことや、体の動きに合わせて息をしていないこと、等といえよう。

このようになる原因は、息づかいの重要さが分からないことと、肺と心臓などの内臓の働きがまだ不十分なことであろう。受け身をたくさん取って、ハアハア、ゼヱゼエ息を切らせ、その苦しさを経験して、息づかいの大事さを悟ること、また肺や心臓を丈夫にして、空気をたくさん、しかもすばやく自由に取り入れることができるようにしなければならない。

それができるようになると、これまでのような体の動きに合わせた息づかいから、息に合わせて体をつかうことができるようになってくる。息で体を制御するのであるから、ゆっくりも速くも、また、大きくも小さくも動けるようになるし、遠心力でも求心力でも、さらに螺旋でも、自在に動けるようになる。

自分自身もけっこう自在に動けるようになり、相手がそれほど力もなく、体力がなければ、相手を自由に動かす事ができるようになるだろう。だが、相手に少しでもがんばられたり、力のある相手には、なかなか通用しないものがある。

その次の段階では、このような魄力のある相手にも通用するような、次なる息づかいをしなければならないだろう。今回は、その息づかいを研究することにする。

それは、息を一般人のようにではなく、武道的に出し入れするということである。息が技になり、力になり、息で技をかけるようになるわけである。

以前にもちょっと書いたが、息で相手が倒れる、つまり、息が技になるということがある。入身投げや呼吸法で、最後に相手にがんばられてしまっても、息のつかい方によって、相手は倒れるようになるのである。

今回は、これに関連して、息が力となり、技となるようになるとはどういうことか、そしてどうすればよいか、を書いてみよう。

息は、力を発生させる。相手や地などを接点にして、自分の重力がかかるように、息づかいをすることである。相手が自分の手をつかんだり、抑えたりすると、その接点に自分の重力をかけて、結んでしまうのである。相手がいない場合でも、歩いても立っても、地との接点に体重がかかるようにする。武道の達人・名人のどっしりした立ち姿や歩く姿は、この息づかいからくるものであると考える。

このためには、口で息をするようではだめである。口から息を出し入れする内は、まだ気持ちが浮ついているし、体がこわばっていて、重力がじゅうぶんに接点や地に落ちてないから、大きい力にも結びの力にもならない。

大きい結びの力を出すには、息は肺などの内臓を動かして出し入れするのではない。体を膨らませたり、萎めたりすることによって、内臓を働かせ、空気の出し入れをするようにしなければならない。これは、合気道の法則、宇宙の法則である接点、つまり、つかう部位、働く部位を最初に動かさず、その対照を動かすということである。

そのような息づかいをすると、体で呼吸をしている感覚になり、体の皮膚を通って空気が出入りし、また、足裏で息をしている感覚になる。昔の剣術の達人が足で息をする、皮膚で息をするといったのは、このようなことではないかと思う。

体で呼吸するためには、呼吸を十字につかわなければならない。体で、十字に呼吸、息づかいをするのである。合気道は十字道ともいわれるように、技も体づかいも十字であるが、息づかいも十字でつかわなければならない。つまり、縦の息である腹式呼吸と横の息である胸式呼吸を陰陽でつかうのである。

十字の呼吸から天地の呼吸、赤玉・白玉、生むすびの息づかいなどと、息づかいはどんどんつながっていく。息づかいの研究にも終わりがないが、今回は体での呼吸で終わりとする。