【第423回】 肉体は理によって造りあげるもの

合気道は力がいらないとか、体力は必要ないなどという人がいるようだが、武道として合気道を修行するのなら、体力も力もいるものだ。

合気道は魂の学びであり、魄ではないといわれたりもする。だが、魂を容れる魄の肉体がしっかりしていなければ、魂も入れないし、そして育成もできない。まずは、魄の肉体を造りあげなければならない。

合気道で肉体を造りあげるのは、容易ではない。しかし、初めの内はそう難しいことではない。誰もがやっているように、力一杯に技をかけ、そして受けを取っていけば、やるだけ力がつくし、体力も増していくものである。

だが、20年、30年・・・とそのように稽古していくと、ある壁にぶつかることになる。それは、日頃稽古している形稽古の形だけでは、人を倒すことができなくなってくるからである。

壁を乗り越えようと、まずは誰でも腕力や体力をさらにつけ、その力に頼って技をかけようとする。だが、力を多少つけても、力の弱い相手には効くが、力の強い者には全然効かない、ということが分かってくるだろう。それがわからず、そのまま力に頼る稽古を続けていけば、体を壊すことになる。ここは、何か別の方法を考えなければならないことになる。

その一つが、自分の肉体を原点にもどして、理によって造り直すことである。原点にもどすとは、自分の肉体を本来の姿、あるべき姿として見直すことである。一言でいうと、肉体の摩訶不思議を感じることである。例えば、手は右と左に一本づつあって、手の関節は7つほどあり、それが各々の個所で十字に動く、等などである。

理によって造り直すとは、肉体を宇宙の理の理合、宇宙の法則に則った遣い方をし、肉体が宇宙の理に則って動くようにする、ということである。それまでのように、好き勝手に動かすのではない。これを開祖は「(武魂を容れる善美なる)肉体は理によって造りあげるものである」(『合気真髄』)といわれている。

自分の肉体を原点に戻すためには、自分の肉体を見つめなければならない。それまで鍛え上げ、積み重ねてきた肉体を、無にして見つめながら、稽古しなければならない。相手が弱いからといって、力で技をかけてしまうと、元の木阿弥である。だから一時、弱くなっても当然である。これまで優勢であった相手にも、初心者や女性にも、やられてしまうのである。ここは、忍耐が必要である。

肉体が原点回帰すると、理に則って働こうとするようになる。例えば、足は陰陽で左右規則的に動くようになり、そして手も同じように陰陽で動くようになり、縦横十字で円く、螺旋で動くようになる。つまり、陰陽や螺旋で動かないと、気持ちがよくなくなるのである。ということは、気持ちがよくなるように肉体を遣っていけばよい、ということになり、気持ちの悪いような遣い方はしなくなる、ということである。

気持ちがよい肉体の遣い方をすれば、それは理にあった遣い方をすることになる。その結果、理による肉体ができると考える。そこから理合、宇宙の法則を見つければよい。

理を見つけたら、その理を他の技や相手に試してみるとよい。他の技や、どんな相手にも通用するものなら、肉体はまた一つ宇宙の法則を身につけた、ということになるだろう。