【第421回】 天地の息 〜その1〜

合気道は、相対で技をかけ合いながら精進していく武道である。技をかけて、相手が倒れてくれれば技が効いたと満足するし、うまく倒れなければ悔しい思いをする。だから、何とか相手を倒そうと一生懸命になる。

初めは、力が強ければ相手は倒れるとばかりに、体力や腕力をつけようとする。誰でも最初は力に頼るものなので、自分のできる範囲で力をつけていく訳である。

その内に、力では相手が倒れないことが分かってくる。合気道の稽古は気形の稽古といわれるように、形稽古である。だが、形ではどんなに力を鍛えて遣っても、相手が倒れず、力に限界があることがわかるはずである。

そこで、技を遣わなければならないことになる。しかし、この技を身につけるのは容易ではない。そもそも技とは何か、が難しい。技は宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の法則でできている、というものだからである。つまり、人が自分勝手にやるものではないのである。

技を遣うためには、技を生み出す仕組みの要素を身につけなければならない。例えば、手足や息を陰陽、十字に遣うこと、等である。また、技を生み出す仕組みの要素で形稽古をしていくと、呼吸力もついてくるのである。

その内に、合気道の技の練磨とは、宇宙の法則を一つ一つ見つけていくことと、呼吸力を養成することである、と思うようになるのである。

しかし、ここまでは、まだ人間としての自分の力だけに頼る稽古ということになるだろう。やはり、これには限界があると気づいてくる。そして、合気道は宇宙との一体化であるから、人間の殻から脱皮し、宇宙とまではいかなくとも、天地自然のお力をお借りする、というところまで行かなければならないだろう。

お借りするお力はいろいろあるだろうが、今回は、「天地の息」のお力をお借りしたいと思う。「天地の息」で技をかければ、これまで以上の、そして異質の力、超人的な力がでるはずである。

「人の息と天地の息は同一である。つまり天の呼吸、地の呼吸を受け止めたのが人なのです。」と開祖はいわれている。天地の息と、それを受け止めた自分の天地の息で、技を遣うようにするのである。天地の息は自分の息につながり、「自分のイキの動きは悉く天地万有につながっている」と思って、息を遣うのである。

「ものを生み出すのも天地の呼吸によるものである。天の呼吸は日月の息であり、天の息と地の息と合わして武技を生むのです。地の呼吸は潮の満干で、満干は天地の呼吸の交流によって息をするのであります。天の呼吸により地も呼吸するのであります。」(『武産合気』

この天地の呼吸、天地の息は、人にも同じように働いているものである。まず、天の呼吸である日月の息、天の息と地の息は、人体においては縦の腹式呼吸ということになると考える。そして、潮の干満の地の呼吸は、人体では横の胸式呼吸ということになるだろう。

この天地の呼吸によって、ものが生まれるわけであるが、技もこの縦横十字の腹式呼吸と胸式呼吸によって生まれるのである。

潮の干満は、天と地の縦と横の呼吸の働き合い(交流)によって起きるのだから、技も腹式と胸式呼吸の縦横の十字の交流が必要である。さらにまた、まず縦の天の呼吸、縦の腹式呼吸から始めなければならないことになる。

呼吸、息遣いというのは、息を吐くことと息を吸うことをいうのであり、「はく息は、ひく息はで、腹中にを収め、自己の呼吸によっての上に収めるのです。」といわれている。

開祖は「天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言魂となり、一つの技となって飛び出すことが肝要で、これをさらに肉体と統一する。声と肉体と心の統一ができてはじめて技が成り立つのである。」ともいわれているわけだから、何はともあれ、天地の呼吸に合わせた技づかいをしていかなければ、宇宙の条理に則った技にならない、ということである。

では、具体的には、どのように天地の呼吸を身につけることができるか、ということになるが、分量も多くなってしまったので、次回にする。