【第392回】 螺旋につかう

合気道は技の形稽古を通して、技を練磨しながら上達していく。通常は、技をかけるのと、受けを取るのを、交代しながら稽古する。だが、なかなか思うようにはいかないものである。受けはある程度の年数と努力をすれば取れるようになるが、技をきめるのは難しく、相手は思うように倒れてくれないものだ。

合気道の稽古は、相手を倒すのが目的ではない。倒すことを目的にしてしまうと、形が崩れてしまうし、場合によっては、合気道の形以外の方法を使うことにもなるので、合気道で練磨すべき技の練磨ができなくなる。

しかし、受けの相手に技をかけて、相手が倒れなければ、その技づかいは駄目だし、技が効いてないことになる。

合気道は相手を倒すのではないが、相手は倒れなければならないのである。矛盾ではあるが、理にかなっている。つまり、技をかけた相手が自ら倒れるよう、倒れざるを得なくなるようにすれば、よいのである。

受けが喜んで倒れるようになるのは、容易ではない。例えば、相手を倒そうと意気ごんだり、力をぶつけたりすれば、相手は気持ちと体で防御態勢に入るから、倒れてはくれないだろう。呼吸力不足や、体の鍛錬不足、技の未熟、間違った息づかいや体づかい等でも、相手は倒れてくれない。

これでは相手は倒れてくれないだろうと思うような稽古場面に遭遇したので、その問題と対策を考えてみたいと思う。

合気道は相対で技をかけたり、受けを取るものであるから、二人は向き合った状態から動き始める。技をかける場合には、相手に向かって手を使うため、技をかける手や体は相手にぶつかっていくことになる。ぶつかると、相手はがんばってくるので、相手にがんばらせないようにしなければならない。

ぶつかるというのは、相手との接点である支点を動かすことである。これは合気道の技づかいの原則であるから、接点から動かすことはご法度である。だから、その接点の対極を使わなければならない。それは、腰腹であり、足であろう。

諸手取呼吸法は重要な稽古法であるが、難しいものである。相手に力があって、しっかりつかまれると、手先だけで動くものではない。相手は二本での諸手であり、こちらは一本の腕である。体幹、腰腹をつかってやることができるようになれば、何とかなるだろうが、それでもできない場合もある。そこから、さらにもう一段進めなければならない。

それは、「螺旋」(らせん)である。相手に持たせている支点の手を動かさず、自分の体を下へ落とし、螺旋で上に上がって相手を倒すのである。

相手とぶつかるというのは、手や体、それに気持ちを直線的につかうからであると考える。ぶつからないためには、それらを螺旋に使うことではないだろうか。

螺旋とは、縦と横の動きのコンビネーションであり、つまり十字ということになる。体幹、腰腹、脚、足を、縦の上下につかうと同時に、左右横にもつかうのである。

この螺旋の動きは、螺旋の気持ちや息と一緒でなければならない。渦潮や竜巻などの螺旋のイメージでやるのである。

また、手も螺旋で使わなければならない。相手に強くつかまれている手を直線的につかうと、折れ曲がってしまう。手の関節だけでなく、体の関節とは、直線的に自由に折れ曲がるよう、機能するように、できているのである。武道のために折れ曲がらないようにはできていない。強く持たれても折れ曲がらないように鍛錬し、そう使うようにするしかない。手が折れ曲がらないためのキーワードは、螺旋である。

人は時代、それに年代とともに、少しでも楽をしようとする性向があるようだ。合気道の稽古で技をかける際も、手に主体を置いた横の動きに頼るようになる。確かに、体を上下の縦に使うのはめんどうである。しかし、そうやらないと、その分、技の効き目は減少してしまうわけである。

やはり、横だけでなく、縦にも動き、そして縦と横の螺旋で、技を使うようにしなければならないだろう。