【第373回】 を鍛える

合気道は、いつも書いているように、技を練磨しながら精進していくものであり、技が重要である。技とは宇宙の理を形にしたものであるから、残念ながら人が完全な技をつかうことはできない。完全に技がつかえるのは神だけで、神のわざは神業という。神技ではない。人が技の練磨をするのは、ただその神業に少しでも近づいていくためである。

しかし、周知の通り、神業に近づこうとする技の練磨での技つかいは、容易ではない。いくら頭で願望しても、また、がむしゃらな稽古をしても、よい技はつかえないし、技もよくならない。よい技、よい技の姿にするためには、やるべきことがいろいろある。

そのひとつに、理の呼吸がある。理の呼吸とは、宇宙の法則に則った呼吸である。むやみに呼吸をしても、よい技にはならないのである。

呼吸とは、息を出し(吐き)、息を引く(吸う)ことであり、合気道では「息を出す折には丸く息をはき、ひく折には四角になる。そして宇宙の妙精を身中にまるくめぐらし六根を淨め働かすのです。丸は天の呼吸を示し、四角は地の呼吸を示す。つまり天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す」(武産合気)といわれている。

これを開祖は、シンボルをつかい次のようにも言われている。

「はく息は である。ひく息は である。腹中に を収め、自己の呼吸によって の上に収めるのです」(武産合気)

この息づかいが最もわかりやすいのは、二教裏の小手まわしであろう。相手の小手を、大きく息を引きながら自分の胸につけ、胸を横に開くと同時に、足(後ろ足)が地にしっかりと密着し、心体が地と一体化し、盤石の態勢になったように感じる。それは、まさしく の感じである。

そこで、息をはいてこの技をきめるが、横の息を縦の腹式呼吸 で息をはくと、盤石な の上におさまることになる。この理の呼吸で、二教裏の技をかければ、摩訶不思議な力、つまり強烈だが危険のない無害な力、反抗心をなくすような力が出る。二教は を鍛えるには最適と考える。

この呼吸がわかるもうひとつが、四股踏みである。天の気を得て、その気を地に落とし、そこから胸式呼吸で息を吸いながら、足を上げるのであるが、息を吸うにしたがって、地の足が地面にしっかり密着していく。四角で盤石な の気持ちになる。そこから で、円い息を腹式呼吸で の上に落とすのである。

この から の上に落とすことがわかりやすいのは、二教や四股の他に、諸手取り呼吸法と坐技呼吸法があるだろう。どちらも から に落とさないと、相手とぶつかってしまったり、相手に逃げられてしまったりして、技にならないのである。

は想像以上に大事であるようだ。遠心力と求心力を兼ね備え、地に足、身体を食い込ませるように、盤石にしてくれる。

四股踏みや二教裏で の感じはよくわかるし、鍛えることができる。だが、これを他のすべての技(の形)でも鍛えるようにしなければならない。