【第355回】 腕の筋肉と骨

合気道の稽古をやりはじめると、体ができてくるが、始める前とくらべて最も違いの出てくるのは腕ではないだろうか。どう違ってくるかというと、@腕が太くなるA腕が丸くなるB腕の骨と肉が別々に動く、等があると考える。

この違いは人により、また、稽古の仕方と量により差があるが、大勢としてはこの傾向にあるといってよいだろう。

腕が丸く太くなるのは、誰もが経験しているだろうし、他の稽古人を見ればわかるだろう。だが、Bの「腕の骨と肉が別々に動く」は、気づかないでいるかも知れない。

腕(手)には主な関節が7つほどあるが、技をつかうためには、これらの各関節を十分に働かせなければならない。そのためには、技の稽古や一人稽古で各関節を鍛えるとともに、これらの関節同士が十字になるように鍛錬していかなければならない。

かつて本部道場で教えておられた有川定輝師範は晩年、手首の関節や肘の関節を鍛えるというテーマで、それに相応しい技の形(例えば、手首の関節のために、交差取り二教。肘関節のために、片手取りでの隅落とし等など)を選んで、一時間そのテーマの稽古を行われていた。

これらの腕の関節を動かすのは筋肉であるから、関節をうまくつかうためには、筋肉を鍛えなければならないだろう。まずは7つの関節が、隣りどうし互いに十字になるまで、柔軟にしなければならない。そして、各関節でも技がつかえるように、敏感で、しかもある程度の荷重に耐えられるような筋肉にしなければならない。

しかし、これらの筋肉は、主に横の動きに対する筋肉であるといえよう。横の動き、つまり横の円の動きとは、簡単に言うと、女の子がイヤイヤする時の手の動きである。これに対しては縦の円の動きがあるが、これは子どもが遊戯でギンギンギラギラと手を回す動き(内旋・外旋)である。

合気道の技は縦と横の円運動であるから、横だけでなく縦の円運動のための筋肉も鍛えなければならない。宇宙の営みと条理に従い、つねに縦から始めなければならないことになっているから、縦の円の動きはより重要になる。

「諸手取り呼吸法」などで相手の腕をつかむと、腕の感触がそれぞれで違うのがよくわかる。腕の感触は、だいたい3つの段階にわけられるようだ。

  1. 初心者は、腕に張りがなく、枯れ木のような感触である。筋肉がまだ十分ついてないために扁平であり、皮と肉は骨にくっついている。
  2. ある程度、稽古を続けると、腕が太くなり、丸くなってくる。しかし、まだ、肉が骨に密着しており、そのため腕を力一杯おさえられたら動けなくなってしまう。
  3. さらに鍛えていくと、腕の太さや形は2.とあまり変わらないようだが、肉と骨が分かれて動くようになる。そうなると、力一杯おさえられたり、つかまれても、腕はけっこう自由に旋回し、動くことができるようになる。この段階では、それまでなら持たせた相手の手をはじいてしまっていたのが、くっつけてしまうことができるようになる。
「諸手取り呼吸法」で、腕の筋肉がその下にある骨と分かれて動くようにならなければ、相手とくっつき、そして相手を制することは容易になる。
こちらの腕は相手が両手で腕を折らんばかりにつかんでいるのだから、持たれた手をイヤイヤする時のように横に動かすことは不可能であり、ギンギンギラギラの縦の動き(内旋・外旋)をつかわなければならない。

筋肉と骨が分かれて動くようになれば、相手は腕をつかんでいるつもりでも、実は皮と肉(筋肉)が抑えられているだけで、骨まで抑えられているのではないから、こちらは自由に動けるのである。だから、相手の手が接している筋肉の部分を支点にして、手を十字に返すこともできる。筋肉が骨にへばりついている状態では、接点が動いてしまうし、手が十字にかえらないので、技にならないのである。これでは、力によってやるしかなくなるわけである。

筋肉を骨から自由にして働いてもらうことは重要であるから、そのような筋肉にするための鍛錬をしなければならない。その最良の稽古法は、先述の「諸手取り呼吸法」である。この稽古法は、かつてはどの師範の時間でも必ず行われていたし、何度も書いたように、有川師範は常々、合気道の技はこの「諸手取り呼吸法」ができる程度にしかできない、といわれていたことを考えても、いかに重要であるかがわかる。

「諸手取り呼吸法」が重要なことはわかるが、なぜ重要なのかまだ十分わからないところもある。だが、この「諸手取り呼吸法」には、腕を縦につかうために、筋肉を骨から自由にしてつかうという重要な稽古が含まれている、ということも、重要なことの一つであろう。