【第346回】 手を過信しない

人の手はよく動くようにできているものだ、とつくづく感心させられる。手を使うことによって、頭も働くというから、手をたくさん使った結果、人の脳細胞も活性化してきたのだろう。

また、頭の働きは手に現れるともいわれるが、頭と手は繋がっているので、頭で思っていることは手に現れるものである。

合気道の技はたいてい手でかけるので、手の使い方が大事になる。手を折れないようにつかう、縦と横の円の動きの巡り合わせでつかう、等などである。手をうまくつかわなければ、技にはならない。

しかしながら、手は大事であるが、手を過信してはいけない。手は器用で、繊細な動きはできるが、思っているほどには力を出せないものである。従って、技をかける際に、手に頼りすぎてはいけない。

例えば、初心者がよくやるのは、胸や肩を取らせて一教や二教をやると、せっかく相手が掴んでいる胸や肩からその手を引き離してしまって技をかけるが、これでは片手取りなどの稽古と同じになってしまう。

これでは胸取り、肩取りの意味がなくなってしまうので、胸取り・肩取りの稽古の意味が変わってしまうことになる。

それに、手でやったのでは、大した力はでないのである。胸や肩は体幹の部位であるから、体の末端の手などに比べると、比べものにならないほど力がでるものだ。それに、質も違った力(例えば、粘着力や吸引力)のようで、相手が納得しやすい性質を持っている。

合気道の稽古法はすばらしい、とかねがね思っている。その理由のひとつに、体全体がまんべんなく鍛えられることがある。受けの取りは、捕りの手、胸、肩、首、肘等などを攻めてくるが、その部位を手としてつかい、手と同じように働くように鍛練していく。理論的に取りの掴む所は無限にあるわけだから、体全体が手のようにつかえるように鍛練できるわけである。

相手を投げたり抑えることばかり考えないで、相手と接している部位を鍛えるという意識をもって稽古するとよいだろう。

肩取りは肩をつかい、胸取りは胸をつかって、取りの相手を制しなければ、稽古にはならないし、効果もない。手よりも体幹部からの力の方が断然大きいし、粘着力もある。従って、もっと大きな力を出し、技の効果を上げたければ、体幹部を鍛えることである。体幹部を鍛えるということは、体の各部を鍛えていくということにもなるから、肩取り、胸取り等もまずはしっかりやらなければならない。

体幹部が使えるようになってくると、肩や胸を取らせても、手でやるより力を入れずに、楽に技をかけることができるはずである。

腕力を制するのは、手では難しい。体幹の部位である肩や胸の方が、容易である。手は大事だが、手を過信してはならない。