【第334回】 形稽古で体をつくる

合気道をはじめると、自分の体が硬くて、手足も思うように動かないことに気づくものだ。ふだんの生活では、何不自由なく体は動いてくれるし、自分の体は自分が思うように動くものと思ってしまうのであろう。

ところが、合気道の稽古をはじめると、最初の内は受け身はできないし、先生が示される模範技をどう動いてやればいいのか分からず、頭が真っ白になって立ちつくすことになる。

だが、数か月も稽古を続けていくと、体が畳になじみ、目も技になじんでくるので、相対での形稽古もスムースにできるようになってくる。後は、稽古を続けて、筋肉をつけ、体を強靭に、そして柔軟にしていくことである。仲間と投げ合ったり、決め合って、受け身をたくさん取るのがよい。

しかし、仲間同士での稽古では限界があるので、先輩に投げてもらったり、関節技できめてもらったり、押さえてもらうのがよい。先輩には、相手のレベルも分かり、本人以上に限界もわかるから、限界より紙一重上のところまでやってくれるだろう。仲間とやるよりも厳しい稽古になるが、自分の体(筋肉や関節)の限界や限界の紙一重上までやられると、レベルアップにつながることになる。

合気道は愛の武道といわれるように、先輩上級者は、自分の上達だけでなく、相手が上達するようにと思いながら、相手をしているはずである。相手の体が硬ければ、少しでも柔らかくなるよう、極限まで筋肉や関節を伸ばしてやるべきであろう。相手が痛いだろうからと、しっかり力を入れて伸ばさないのでは、自分の稽古にもならないし、相手にもその稽古が無意味になってしまう。

先輩がいれば、先輩に稽古で揉んでもらうとよい。先輩がいるうちは、教えてもらったり、揉んでもらえるので幸せである。しかし、いつまでも教えてもらい、揉んでもらっていることはできなくなる。いずれは必ず、ひとりで体を鍛えていかなくなるであろう。

本格的な稽古は、ひとりになってから、ということができよう。体を鍛えるのも、教えてもらうのではなく、自分で見つけ、自分で試行錯誤しながらやっていかなければならなくなる。

その場合は、まず自主稽古である。道場の外で、自分でやる稽古である。忙しい世の中なので、そう長くはできないだろうが、小一時間ぐらいは必要であろう。ただし、原則的に毎日やらなければならない。

自分の長所や短所は自分が一番よく知っているはずなので、自分に欠けていることを補うためや、自分の長所や得意なものを伸ばすためのプログラムを、組むとよい。先輩たちや名人・達人たちの自主稽古・ひとり稽古のメニューで共通しているものとしては、木刀や杖の素振り、木刀の切り返し、鍛錬棒の素振り、四股踏み、関節の鍛錬運動、柔軟体操などがある。

自宅での自主稽古は、自分のメニューをこなすことのほかに、道場稽古での課題を研究する場でもある。ある技がうまくいかなかった場合は、その原因を究明し、解決策を試してみるのである。本格的に稽古したければ、自主稽古をお勧めする。

次に、さらに道場で体をつくっていくことを考えなければならない。稽古を続けていけば自動的に体ができていくのは、初心者で若い頃であり、それも基本的な体をつくるだけである。つまり、本格的な合気の体ではないのである。

合気の体は技を生みだし、技がつかえる体でなければならない。その体ができなければ、宇宙の営みの技を身につけることができないし、宇宙との一体化もできないからである。

では、道場稽古でどうすればそのような体がつくられるようになるかというと、相対での形稽古を、それまで以上にしっかりとやることである。

合気道の形(通常、技といっている)はそれほど多くはないが、それをいろいろな攻撃法(取り)と組み合わせるので、非常に数が多く、複雑に思えてしまう。それに、初心者は一般的に、取り(攻撃法)を十分意識せず、片手取りであろうと、両手取りであろうと、同じような体つかいで動いている。

まずは、取りを意識することである。取りには、それぞれ重要な意味がある。これは合気道のすばらしい稽古法であり、すばらしい体つくりの鍛錬法だと考える。

例えば、片手取りは、手の可能性や働きを学び、手を鍛える鍛錬法である。両手取りは、両手を陰陽で交互につかう稽古。後両手取りは、体の表(背、腰側)をつかい、両手両足をナンバで陰陽につかう稽古である。後両手取りでは、手足を陰陽で正しく動かせ、体の表の腰からの力をつかうと、相当な力が出ると同時に、体がしっかりできていくことになる。

また、胸取りは胸を、肩取りは肩を手としてつかうことで、手のように自由につかえるようにするための稽古である。このように相手が掴んでくるところを手としてつかうので、体のどこでも、手が動くように活性化することになるのである。