【第312回】 歩法とナンバ(前篇)

人が生きていく上での基本の一つは、歩くことであろう。生きていくためにも、歩かなければならない。歩けなくなったら、そろそろ人生の終幕を迎えることになるだろう。

かつては仕事によって歩き方も違っていて、正しい歩き方、歩法ができなければ、商売にならなかった。例えば金魚売りは、金魚がめまいをおこさないよう、水を揺らせないように、天秤を担いで歩いたし、駕籠かきはどんなに重くても坂道山道をものともせずに駆けたし、我々が子供のころまであった人力車の車夫は、客を揺らせないように斜に構えて走っていた。

もちろん、江戸期の武士は刀を差していたこともあり、刀が身から離れないような歩き方をしていたはずである。着物を着ていた時代は、歩いても着物がはだけないような歩き方をするのが当たり前だった。

このように仕事によって歩き方が各々違っていたが、いずれも現代とは大きく違っている。文化(例えば、着物や下駄・草履)が変わったことで、歩法は違ってきているのである。

現在は、昔以上の種類の仕事(商売)があるだろうが、商売によって歩法は変わらない。それは、本来なら自分で歩くところを、代わりに人やモノを移動する新しい手段が出来たからだと言えよう。以前なら歩いていたところを、電車や自動車の乗り物に乗るし、モノはフォークリフトで持ち上げて運んだり、宅配便で送り届ける。

世の中はどんどん楽になり、さらに快適を目指している。もはや重いものを運んだり、遠くまで歩く必要がなくなった。そして、人は以前の歩法を忘れ、歩法に気をつかわなくなり、気楽に歩くようになってしまった。
合気道は武道である。武道とは日本の伝統文化である。伝統文化であるから、その伝統に則って稽古をしていかなければならない。そして、技をつかうにあたっての歩法も、伝統に則っていなければならない。合気道がつくられた時期、合気道ができる基になった柔術ができた時期の歩法でやらなければならない。

乗り物に依存している歩法で技を使おうとしても、うまくいかないか、違うものになってしまうはずである。

それでは合気道の歩法とは何か、現代快適歩行とどこが違うかというと、いろいろあるだろうが、その一つにナンバがある。しかし、これは分量のこともあるので、次回にする。