【第294回】 体育

合気道には試合や勝負はないので、勝負に勝つことが大事な武道やスポーツとは、体のつくり方や考え方は違うと思う。

勝負が大事な武道やスポーツは、勝つために体をつくらなければならないので、必要なもの(効き腕、足、首等)を鍛えるが、あまり必要でないものは鍛えないし、無視する。その結果、例えばテニスプレーヤーの効き腕は太いが、中には反対側の腕は細いままであったりすることもある。

合気道では、気育・知育・徳育・体育・常識の涵養が修行の目的になっており、体育も重要である。しかし、合気道の体育は試合に勝つためでもないし、相手に勝つためでもないから、どこをどう鍛えていけばいいのかがわかりにくいだろう。

勝負のあるスポーツや武道の体育は、重点主義と言ってもいいだろう。勝負に大事な部分を、重点的に鍛えなければならないからである。それに対して、合気道の体育は総合主義、トータル主義と言えるだろう。つまり、隅々まで体全体を鍛えるのである。弱いところや機能しないところがないようにしていくのである。

鍛えるというのは、強い部分をさらに強くすることでもあるが、弱い部分も強くし、固い部分をほぐし、強弱硬軟がなくなるよう、デコボコがないようにしながら、トータルのレベルアップを図っていくことである。

極端に弱かったり、固い部分はすぐわかるから、それは個々に改善していけばいい。しかし、体のデコボコを見つけるのは、容易ではないだろう。

だが、そのデコボコを見つける方法がある。それは技の練磨の稽古で体を連動し、そして有機的に遣うことである。連動とは、各部が切れずに繋がって動くこと、有機的とは有機体のように、多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っていくことである。

例えば、手を掴ませても、手だけを動かして技を掛けるのではなく、手を腰腹と繋げ、腰腹、それに足と連動して使うことによって手を動かすのである。体の各部位が連動して有機的に動けば、弱い部分や固まって動きにくい部位を感じることができるはずである。

手足や各部をばらばらに使ったのでは、どこが弱いのか、うまく機能しないのかなど、デコボコを見つけるのが難しいものである。

合気道の体育のためには、まず、勝負の心を捨てること。そして自分の体の声を聞き、体と対話しながら、体の関係あるすべての部位を連動し、有機的に使って稽古をして、デコボコは少しづつ埋めならし、そして体トータルのレベルアップをしていくことが大事であろう。

これが合気道でいうところの「体育」ということではないだろうか。