【第270回】 足の拇指(おやゆび)

前回の第269回で「脚のあおり」を書いたが、この「脚のあおり」で撞木に歩を進め、地からの力を下腹に集めてその力を使うためには、「足の拇指」が重要な働きをする。「足の拇指」が脆弱だったり、理合いで使われないと、「脚のあおり」がスムーズにできないし、力も出ないのである。

撞木で足底が踵、小指球、拇指球とあおられるが、拇指球からさらに拇指に力を流す、つまり「あおる」のである。

足、足首、膝、腰を十分「あおる」ためには、「足の拇指」を使わなければならない。この「足の拇指」に、足底のあおりにより力が集まると、足首、膝、腰のあおりのロックが解除し、自由にあおれるのである。

つまり、重心が踵から小指球、拇指球に移動したところで、拇指にその力が加わると、膝と腰(股関節)のロックが解除され、あおりができるようになるのである。しかし、その為には足底、つまり土踏まずを床に密着するように、足底を開かなければならない。足を開かずに閉じてしまうと、あおれない。

靴を履くと、足の甲で靴を上げようとするので、足底は閉じがちである。下駄や草履は、逆に拇指や他の指で持ち上げるので、足底は開く。これが、武道を修行する者は靴より草履や下駄がよい、といわれる理由であろう。

通常の人の歩法では、踵から着地してつま先を持ち上げるように歩くので、拇指にはほとんど力が加わっていない。それでも、若い人、特に幼児達は、まだ「足の拇指」に力を加え気味に歩いているようだが、年を取るに従い、無意識のうちにそこに力が加わらないように、あるいは、そこに力を入れるのを避けるようにして歩くようだ。

従って、年を取ってきたら意識して「足の拇指」を鍛えていかなければならないだろう。十分に「あおる」とは、自分の体重に耐えられる程度ということであろう。人は本能的に少しでも楽をしようとするので、無意識のうちに「足の拇指」に力が掛からないようにしてしまうのだろう。

「足の拇指」を鍛えることは、合気道を修練する上でのマストである。相対稽古での技の練磨の際に、そこに意識して力が加わるようにすることはもちろんのこと、道を歩く際も「脚をあおり」ながら、「足の拇指」に力が入るように、注意して歩く必要があろう。靴だとその感覚がつかみにくければ、休日などに下駄や草履で歩いて鍛えればよい。