合気道は技の練磨をしていくものであるが、体が自由に動かなければ、技もそれ相応にしか遣えない。体が自由に動くためには、骨や筋肉を強靱しなければならないが、まず体のカスを取って、柔軟にしていかなければならない。しかし、強靱にしながら柔軟にしなければならないわけだから、容易ではない。容易ではないというのは、ただ稽古をして体を遣っていればよいということではないということであり、体の遣い方を考えて稽古しなければならないということである。
人はどうしても錯覚に陥り易い。それは物事を自分の都合のいいように解釈するからだと思う。稽古も然りである。多くの錯覚をもって稽古をしていることが多い。例えば、稽古をやれば体は鍛えられて、健康になるし、技も上手くなるということである。ただ稽古しただけで、体が鍛えられたり、健康になったり、技が上達することはないといってよいだろう。もしそれで希望通りになったら奇跡である。体を鍛えたければ鍛えるように、健康になりたければ健康になるように、また技が上達したければ上達するように、稽古しなければならない。
合気道は引力の養成であるとも言われるように、攻撃してくる相手をただ弾き飛ばすのではなく、先ずはくっつけてしまわなければならない。そのため引力を強めていかなければならないが、体の遣い方で相手をくっつけるようにしなければならないだろう。それには、体のクッションを遣うことである。クッションによって相手がくっつくだけでなく、体の安定性をはかれるし、体から大きな力を出すこともできるのである。
稽古を通して、また四股を踏んでいるとよく分かるが、体のクッションとなる主な部位としては、