【第247回】 つま先と踵(かかと)からの力の違い

武道は人間の体をよく研究していると思う。技をかけたり、相手の動きを殺したり、蘇生させるためには、どこに力を入れればよいのか、どの一点を打ったり、抑えればいいのかなど研究している。

医学も人体を研究しているが、どちらかと言えば部分的に捉えており、人間を物質として分析的に扱っているように思える。武道の場合は、抑えたり、打ったりする点と、それが体全体に及ぼす関係をよく研究しているように思える。まさしく人類の遺産といってよいだろう。

合気道でも相手と接した部位で、いかに相手全体と結んでしまうか、その接点でいかに相手の全体をとるかが、重要であろう。

技を練磨して精進する合気道は、技は手で掛けるが、その手先にいかに力を集められるかが重要である。人によって、力の強い人もいるし弱い人もいる。また、相対稽古で相手と比べると、相対的には腕力や体力のあるなしになったりするが、それ以前に、自分の力が最大限に出るように遣えることを研究しなければならないと考える。他人を気にするより、まずは自分自身を知り、自分の力を開発すべきだろう。

手先の力はどこから来るのか見てみると、大きく分けて手・腕、体幹、地・床となると考える。体を縛られたり抑えられた場合でも、手は動いて力が出るし、腰を椅子などに掛けた場合には体幹からの力が出るだろうし、体重を地・床に落とせば、その抗力が返ってくる。

初心者の力は、手や腕を振り回す手・腕の力を遣うことが多いが、上達してくると、それがだんだん腰腹の体幹からの力になり、そして足底からの大自然の力と変わってくるようである。足底からの力が一番強力なものであり、自然な力なのであろう。

人間は足で歩くので、足底が地や床に着き、着地した反動で地からの力が体に入り込んでくることになる。ただ、この時につま先側で着くか、かかと側で着地するかで、力の流れと体への作用へ大きい違いをもたらす。

理想的な着地は土踏まずであるかもしれないが、分かりやすいように着地をつま先とかかと対照的にわけてみる。

まず、つま先側で着地したり歩いたりすると、つま先にかかった力は膝にくる。膝にきた力は腰(腰椎)にきて、それが胸にくる。

それ故、つま先で動くと膝と腰を痛めることになるし、胸を萎めてしまうので、力も出ないことになるからよくない。膝を痛める稽古人が多いが、これが大きな原因と考える。また、膝を痛めると、きまって次は腰(腰椎)を痛める。腹に力が集まり、腰が虚になるからだ。膝が傷むと思う時は、それは体からのメッセージであるから、そのメッセージに耳を傾けないと、今度は腰にくることになる。また、膝を痛める人は、大体胸を萎めるようになる。胸を張らずに萎めている人は要注意である。

つま先からの力の流れは、膝、腹、胸と体の裏を流れていることになるから、力も出ないし、不自然であるので、体にはよくないことになる。

次に着地や歩をかかと側でやると、地からの力はもも、ひかがみ、太ももを通り腰に集まり、そして背中の肩甲骨に流れる。背中の肩甲骨に力が流れると胸は開く。後は、肩を貫いて手先に流せばいい。つまり、この力の流れは体の表を流れるわけだから、体を遣う理に適っていることになる。

肩甲骨に力が流れることによって、首が下に垂れずに、すっくと起き上がり、体が一本の軸の自然体になる。名人や達人は、つま先側でもかかと側でもなく、足底の真ん中で着地も歩もするだろうが、われわれ凡人はまずはかかと側で着地し、歩むことから始めたらよいだろう。

ちなみに、正座をした場合には、重心を腰の下にある足底に落とせば、腰に力が集まり背中と首がしゃんとする。重心が膝の方にいくと、背骨が丸くなり、腰椎に負担がかかり、胸が萎み、頭が下がってくる。

一か所に入れた力は、他の箇所に伝わり力を及ぼす。誤った箇所に力を入れれば、力が入るべき箇所に力が入らない上に、力を入れてはまずい箇所に力を加えることになる。これでは力は出ないし、体を壊すことにもなる。稽古での体遣いには注意していかなければならない。ただ稽古をすればよいということではない。