【第246回】 全体をとらえる

合気道は技を掛けたり受けを取りながら、技の練磨をしていく。技がうまく掛かっていけば、上達していることになるから、何とか相手を倒したり、抑えたりしようとする。そして、相手が倒れたり跳んだりすると、技が効いたと思うものである。しかし、技が本当に効くというのは、そんなに容易にできることではない。大概は本当に技が効いて受けを取ったのではなく、順番だからとか、先輩だからとか、手首など攻められて痛いから等の理由で、受けを取る場合が多いだろう。

合気道はどんなに段が上でも下でも、年配者であろうが子供であろうが、一緒に稽古をすれば、左右と表裏の4回づつ取りと受けを交代するので、受けの番になると、素直に受けを取るものだと思って受けを取っている。

しかし、受けというのは攻撃をするわけだから、初動だけでなく、技が収まるまでは隙があれば攻撃をするという気持ちがなければ、お互いの稽古にならないわけである。だが、そのような隙のない稽古をすると、技は容易にはきまらないものである。

また、関節技でも抑え技でも、体の部分を攻めてくる訳だから、その部位は攻められて痛いが、その他の部位は生きている可能性がある。だから、抑え方が悪ければ、受けの体は自由に動けるし、他方の手や足で反撃することもできるので、技は本当には効いていないわけである。その典型的なものは、「二教裏小手回し」等であろう。手首の関節をきめているつもりでも、反対側の手で顔面など打たれる危険性がある場合が多い。

技は、相手の体全体に効かなければならない。手を取られようが、肩や胸を掴まれようが、また打たれようが、相手の体全部を崩したり、抑えなければ、技は効いたことにはならない。例えば、「二教裏小手回し」では、手首だけを攻めるのではなく、手首を通して相手の体全体、つまりその中心の腰腹を攻めるのである。だから、「二教裏小手回し」が本当に効くと、手首は痛くないのに、重心が浮き、力が抜けて尻もちをついてひっくり返ってしまうはずである。

もっと難しいのが、胸取りである。取らせた胸を何とかしようと体をひねってしまうと、相手に背中を見せることになるから、やられる危険性が多い。しかし本当に技が効くと、二教以上に相手は吹っ飛んで尻もちをついてしまうはずである。

相手の体全体を崩すのは容易ではない。やるべきことを順序よくやっていかなければならないからである。

相手の体全体を崩すためには、相手の中心である腰腹と自分の力の源である自分の腰腹をむすばなければならない。相手がこちらの手を取ってくるときは、手を媒体にし、肩や胸を取ってきたときはそこを媒体とし、ゆるみがないようむすばなければならない。ゆるみがあるということは、相手と完全にむすんでいないことであり、相手がまだ生きているので、悪さをしてくることになる。

しかし、このむすびも簡単ではない。例えば、肩取りから「二教裏」をきめる場合、取らせた肩と相手の手をしめる自分の手に力を入れると、そこでむすびが切れてしまうことになる。そこは、"天の浮橋"にならなければならない。

つまり、相手の腰腹と、自分の力の源である腰腹とをむすんでいる力の流れを、その肩のところで止めることになるからである。肩で止めれば、部分的な技となり、相手全体を崩すことにはならない。

肩など相手が掴んでくる部分に力を込めたり、そこを攻めるのは駄目だということになる。それではどうすればよいのかというと、相手が接してくる部位はこちらと繋がる、つまり双方がむすびつく懸け橋であると、懸け橋にまず感謝することである。なぜならば、もしこの懸け橋がなければ相手と結びつき、繋がることなどできないからである。 次に、仕事(この場合は相手に技をかける)をするために橋を押したり捻ったりするのは、おかしいわけだから、橋はこちらの腰腹からの力を相手の腰腹に通してやればよいことになる。橋はその流れを邪魔しないようにし、こちらの腰腹からの力を相手の腰腹に送り込むためのものである。

これによって、こちらと相手の腰腹が結びつき、こちらからの力が相手の腰腹に直接、または螺旋と加速によって増幅されて、伝わることになるはずである。これで相手は、肩や手首の部分をきめられるのではなく、体全体が崩れることになるだろう。

このための稽古は、片手取りで、手首からだんだん腕の上の部位にいき、肩、胸を掴ませてやってみるといいだろう。手首から肩まではなんとかできるだろうが、胸になるとなかなか難しいものだ。だが、相手が胸に触れたならば、相手が尻もちをつくぐらいの技をつかえるようにならなければならない。

できなければ、できるまで研究し、稽古するだけである。この先の稽古も、まだまだあるようだ。例えば、相手がこちらのどの部位にちょっと触れただけでも、相手の全体をとらえる技が遣えるようにならなければならないだろう。先は長いが、着実に稽古を重ねていくしかない。