【第241回】 礼と技

昔から、武道は礼にはじまり礼に終わる、といわれている。合気道の稽古でも、礼はその形としてのお辞儀が頻繁におこなわれる。本部道場では道場の玄関からはじまり、玄関正面の開祖のリリーフ、二階の二代目道主のリリーフへの立礼、道場に入る時の座礼、稽古初めの正面への礼、指導者への礼、稽古相手への礼、稽古終了の正面、指導者、稽古相手への礼、道場を退出するときの礼、そして二代目道主と開祖のリリーフと、多くの礼をする。

礼には意味があり、大事である。だから、これまで千数百年続いているのであるが、武道的な礼の意味には、次のようなことがあると考える。

これらは一般的にいわれていることだろうが、これ以外にも武道的な礼として、私が大事にしていることがある。
一つは、 もう一つの武道的礼は、 武道的な礼に関しては、呼吸が大事である。武道的な呼吸と言えるかもしれない。お辞儀の呼吸も技と同じはずであるから、お辞儀で正しい呼吸をすれば技がうまく遣えるはずである。例えば、お辞儀で頭を下げるときは吸気であり、上げる時も吸気である。そのあいだの頭が止まったところが呼気である。小笠原礼法でもそうであるそうだが、これを逆に呼気でお辞儀をしたりすると、技を掛ける時も吸気のところが呼気になったりしてしまうことになりかねない。

従って、稽古の前に指導者に「お願いします」と礼をする時は、吸気で頭を下げ、止めて「お願します」と言って呼気し、吸気で頭をあげるのである。呼気で頭を下げたら、下げたところで息(エネルギー)がなくなり動きが止まってしまう。そこで攻撃されたりすれば、対処できないだろう。

また、背骨を支える筋肉として、背骨の両側には脊柱起立筋の一対がある。加齢とともに衰えてくるが、これを鍛えるには丁寧なお辞儀が効果的であるという。この脊柱起立筋が衰えれば技もうまく遣えなくなるので、丁寧なお辞儀をしてこの筋肉の衰えを遅らせ、または強化して、技に遣えるようにしていくべきだろう。

礼(お辞儀)の美しい人は、技も素晴らしいといえるようである。開祖をはじめ、師範や先輩を拝見させて頂いた結果、このような結論になるようだ。武道は礼にはじまり礼に終わるとは、実に奥が深いものである。礼(お辞儀)をしっかりし、技に取り入れていきたいものである。